第1の歌舞伎は、現在でも世界遺産になるほど優れた芸術として、日本の内と外で敬意を払われている。第2の相撲も、日本人の力士が活躍しない、八百長が噂されるなど、さまざまな問題を抱えながらも、いまだに人気を博している。第3の芸者は、近代に入り売春という側面が批判され、東京が持つ伝統のひとつとしてここに挙げるのに必ずしも適切ではないかもしれない。そのこと自体にも触れながら、この3つを順に、それぞれのエンターテインメント性が日本文化のどのような「からだ」に根ざしているか、を考えてみる。
その前に、日本人にとっての「からだ」がどんなものかを最初に知っておこう。江戸時代に入ると、キリスト教が根絶やしにされ、仏教を含め、宗教というものがすべて江戸幕府の管理下に置かれた。それによって宗教の力が衰え、幕府が作る社会秩序はしっかりしたものになり、それ以降、日本人の頭の中から神という超越性が徐々に失われた。神の超越性とは、私達を超えた存在が、私達の生きている世界すべての原理として働いている、という観念である。代わりに人間の楽しみを来世ではなくこの世、浮世に求めようとする考えが広まる。その時、私達が楽しむ源であり、楽しませてくれる対象でもある人間の「からだ」が重要となった。もとより、人を楽しませる浮世のエンターテインメントとして、文字による本や冊子、線と色による(浮世)絵といった出版文化があったが、他方、からだを使ったパフォーマンスが盛り上がった。それがいま挙げた3つ、 歌舞伎、相撲、芸者、である。この3つは、浮世絵に描かれる主要な典型でもあった。