富士山、城、力士、「大きなもの」は、小さな島国の小さな人たちにとってのあこがれなのか
日本は小さな島国であるし、日本のラグビー選手を見れば分かるように、日本人は元来、体格も大きくない。しかし、大きなものは昔から日本にはあるし、それは好まれているようだ。いまに残っている人工物で言えば、5世紀には西日本で一辺が1km近くもある長方形の天皇の墓が作られ、東日本では、17世紀に作られた江戸城、いまの皇居は東京という都市の真ん中にありながら、その周囲は3マイルを超すジョギングコースとなっている。自然物で言えば、江戸(東京)の人々にとって、富士山は、町のどこからも見える自分たちのための大きな山(3776m)で、北斎が『富岳三十六景』に描くように、人々はその大きさゆえに愛し続けている。実は、体格も、相撲力士は平均で150kgであり、180kgを超す力士は珍しくない。すでに引退したが、小錦という力士は、275kgあり、その大きさゆえに大変な人気を集めた。
では、これらの「大きなもの」は、小さな島国の小さな人たちにとっての、自分たちの反対のものへのあこがれなのか。それはそれで一つの説明であろう。しかし、日本語を知り、少し注意深い人ならば、275kgの力士のリングネーム、「小錦」が「小さな美」であることに注目するであろう。常々語られているように、日本文化では、繊細さや小ささ、ということも、重要な価値なのだ。小さな彫刻である有名な「根付け」もそうだし、握り鮨一つ一つも小さなマスターピースだし、茶の湯が行われる茶室の室内は、1坪しかなかったりする。