絵解きのように、古代インドの物語が動き出す
ー今回、『マハーバーラタ』を歌舞伎化しようと思った理由を教えてください。
2014年、宮城聰さんが演出された劇団SPAC(Shizuoka Performing Arts Center)の舞台『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』がアヴィニョン演劇祭で上演され、その凱旋(がいせん)公演を神奈川芸術劇場で拝見したんです。神々と人間の話であり、ナラ王が森をさまよって、最後は妃(きさき)のダマヤンティーと再会し結ばれるところもいいなと感じました。しかも、森をさまよう理由は、賭けに負けたから(笑)。シリアスな部分と荒唐無稽な部分がない交ぜになった複雑な面白さも、(英雄が流浪しながら成長していく) 「貴種流離譚」になっているところも、歌舞伎に通じます。これは歌舞伎にできるのではないかと、宮城さんに相談しました。
ーSPACの舞台は白い切り絵のような世界でしたが、歌舞伎ではどのような世界になるのでしょうか。
奈良時代の日本人が『マハーバーラタ』を考えたらこうではないか、という視点で作っています。登場人物それぞれを、既存の歌舞伎のキャラクターにうまく当てはめることができましたので、作品世界を歌舞伎の様式に落とし込んだ舞台となります。義太夫(※1)が入る場面もあれば、世話場(※2)も舞踊も、さらにはクスッと笑えるチャリ場(※3)もある。歌舞伎が蓄積した技術を駆使し、歌舞伎のレパートリーに残すつもりで作っています。一方で、着物の柄一つとっても、日本人から見てインド風と思うような生地を使ったり、キャラクターによっては梵字を入れたりしています。また、今回の美術は書き割りではなく屏風絵なのですが、そこにもインドのテイストが入り、歌舞伎の大道具との折衷になっています。
ー屏風絵というのは、長大な絵巻物のような『マハーバーラタ』の世界をイメージしたのですか。
その通りです。劇の冒頭は、寺院のお堂のような設(しつら)えになっており、奉納された絵画の絵解き説法が始まるよ、というかたちになっています。18尺くらいある巨大な屏風で美しい絵を見せていくほか、屏風が回ったり六角形を作ったりもします。
ーさらに音楽にも、従来とは異なるテイストが入るとか。
今回は、SPACの音楽監督の棚川寛子さんにもご参加いただいています。先日、宮城さんと、(歌舞伎囃子方の)田中傳左衞門さん、(長唄三味線方の)杵屋巳太郎さん、棚川さんと音楽の方向性を打ち合わせたのですが、傳左衞門さんが色々とアイデアを出してくださって。黒御簾(みす)の鳴物の音楽で始まり、そこに棚川さんの音楽がオーバーチュア(序曲)として華やかに入り、そこから荘重な義太夫が入ったり、場面によっては棚川さんの音楽と巳太郎さんの音楽とのセッションになるなど、様々なかたちで音を作っていきます。SPACの音楽には楽譜がなく、俳優の台詞に合わせて音作りをされるそうで、今、SPACの皆さんが稽古場に色々な楽器を持ち込んで作ってくださっています。
ー『マハーバーラタ』には様々なエピソードがありますが、今回は、菊之助さんが演じる迦楼奈という人物を中心とする物語になるそうですね。
『マハーバーラタ』は戦の話が多く、SPACの公演ではそのうちの戦の部分ではないナラ王の物語の部分を上演なさったのですが、今回は歌舞伎の戦を描く技法を使って、パンダヴァ家とカウラヴァ家の物語を描こうということになりました。物語は、神々が、争いばかりの人間界を終わらせようとするところから始まります。赤ちゃんのころに母である汲手姫によってガンジス川に流された迦楼奈は、父である太陽神から、対立するパンダヴァ家とカウラヴァ家の争いを止めるために生まれてきたのだと言われ、使命を全うするために突き進んでいく。自己犠牲も伴う迦楼奈の生き方は、源氏と平家の間で誰にも相談することなく犠牲的な行動を取る『熊谷陣屋』の熊谷直実と重なります。
ー『マハーバーラタ』というと日本では、SPACの公演のほか、ピーター・ブルックの舞台が有名です。さらに近年、ブルック自身が同じ題材から『Battlefield』という作品を生み出しましたが、ブルックの年齢ゆえか、あるいは現代を映してのことなのか、悲しみや諦観も感じさせる世界でした。今、この題材を扱うことを、どう考えますか。
ピーター・ブルックさんの『マハーバーラタ』は観ていないのですが、『Battlefield』は観ています。あの作品は、世界が終わった後どうするか、というところから始まっていましたよね。見方によっては現代も、いつ世界を揺るがすようなことが起きてもおかしくない時代。戦や権力争いが繰り返される中で、人間はどのように生きて行けばいいのか…。でも、もう1回観たいと思っていただけるような祝祭性、希望をもって終わるようなラストを考えています。
※1
太夫による語りと三味線による音楽の流派の一つで、舞台上手で演奏される。もともとは人形浄瑠璃(文楽)において竹本義太夫が創始し「義太夫節」として確立したもので、それが歌舞伎に移され「義太夫」または「竹本」と呼ばれている。
※2
写実的な演技で見せる場面
※3
滑稽なキャラクターなどが登場する愉快な場面