現代日本を完璧に表現している空間、それが「スナック」
日本でいちばんたくさんあって、いちばん外国人になじみのない場所、それがスナックだ。世界の街角には、それぞれ特徴的な「なごみ場所」がある。ロンドンではそれがパブだろうし、パリではカフェ、ニューヨークではバーなのだろう。イスタンブールではチャイハネで、バンコクなら屋台かもしれない。ここ日本では、それがスナックだ。
はっきりした数字は監督官庁も把握してないと思うが、いま日本には10万とも20万ともいわれる数のスナックがある。ひとつの県に2,000軒以上ある計算だ。そのうち9割9分はカラオケつきだろう。そのすべての店で、ビールや焼酎ウーロン割りのグラスが揺れるカチャカチャ音とともに、「喝采」や「つぐない」や、「銀座の恋の物語」や「津軽海峡冬景色」が今夜も歌いつがれている。「あとから感じる幸せよりも 今は 糸ひくような 接吻(くちづけ)しましょう」(「愛のままで…」)なんていうオトナの濃密な世界を熱唱する人たちが、毎夜何万人もいる。本当の日本のうたは、そういう場所で生き延び、伝承されているのだという事実をマスメディアは決して伝えない。
スナックという業態は、1964年の東京オリンピックを契機に誕生したものだといわれている。当時巷にはびこっていた、いかがわしい深夜営業の飲食店を、世界から来るみなさまのために浄化しようと風営法が強化された。それにともなって「夜遅くまで飲める健全な雰囲気の場所」が必要となったのが、スナックを生んだ背景にあるらしい。
バーとスナックの違いは「対面接待」だ。いわゆるバーやクラブといった、女性が客の横に座ってサービスするのと違い、スナックはあくまでカウンターを介して従業員が客に飲食を提供する施設。カウンターを乗り越えて、客側に女性がつくことは認められていない。ま、原則上は。それが「軽食を飲み物とともに提供する」という意味で「スナック」という業種名になったのだろう。なので風営法の範疇に入る飲食業の中でも、スナックはいちばん開店が容易で、シロウトが参入しやすい業態ということになっている。
世の中がいくら不景気になっても、グルメブームは終わらない。本屋に行けば、ありとあらゆる飲食店ガイドが山積みになっている。なのに、スナックについて書かれた本は、ほとんどまったくない。日本人の9割にとって、「飲みに行く」といえば「スナックに行く」ことだろうに。なぜなのか――それはスナックという場所がきわめてプライベートな、要するに常連客で成り立っている商売であり、「ネットやガイドブック見てきました」という客を相手にはしていないからだ。
スナックは、なにも特別な酒を出すわけじゃない。まずビール、あとは焼酎。食べ物だって乾き物、お腹すいたらママさんが焼きうどん作ってくれる程度の店がほとんどだ。デザインが売り物になる店は皆無だし、カラオケのシステムだって全国共通、とびぬけて歌がうまく聞こえる機材なんてありはしない。キャバクラみたいに女の子で売るわけでもなく、居酒屋チェーンとちがって安いのがウリでもない。
そういう特徴がまったくない業態で、成功と失敗を左右するのは、ママ、あるいはマスターの人柄、これに尽きる。言い換えれば、長く続いているスナックには、必ず素晴らしいママやマスターがいる。そしてその人柄に惹かれた常連たちがたくさんいて、みんなでひとつのファミリーを形作っているのだ。だからスナックは入りにくい。ほとんどの店は外から店内をうかがい知ることができないが、それはスナックがひとつの「家」だからだ。家にはドアがあり、その中には家族が住んでいる。初めてのスナックに行くというのは、つまり知らない人の家にいきなりお邪魔する、ということなのだ。
「ごめんください」とドアを開けると、廊下の向こうで知らない家族が飲んだり食べたりしてる。そこに「すいません、上がっていいですか」と入り込み、恐縮しながらコタツの隅に足を入れさせてもらい、「まあ一杯飲みなよ」とかすすめられてるうちにホロ酔い、気がつけば家族の一員になって、気持ちよく通ってるうちに「今度の日曜、バーベキューやろうよ」とか「ボウリング大会だから空けといてね」なんて誘われるようになる。それがスナックだ。
飲んで歌って、それだけのことなら、人はスナックなんて行かない。そこにはバーにもクラブにもカラオケボックスにもない、濃密ななにかがあるのだが、「スナックなんて行ったことない」知的でファッショナブルな人々や、その存在すら知りえない外国人に、そのなにかを説明するのはすごく難しい。でも、以前紹介したラブホテルと並んで、これほど現代日本を完璧に表現している空間も、またないのだ。
今回紹介する2軒は、無数にある東京都心部のスナックのうちでも、僕がいつも飲ませてもらってる場所で、典型的なスナックとはいささか趣を異にする、でも外国からのお客さんもウェルカムな店だ。ただ、これは僕だってそうだが、初めて入るスナックのドアを押す時は、ものすごく緊張する。読者の方には、入店時に『タイムアウト東京』を見て来ましたと告げてみてほしい。その後には、どんなファッショナブルなバーでも、伝統と格式を誇る店でも味わえない、ものすごく濃密で「日本的」な体験が待っているはずだ。
渋谷『スコーネ』
駅近に、奇跡的に残るスナックビルの上階。スカンジナビアンブルーのドアが目印(左)
昼間もひどいけど、夜ともなればさらに騒々しい若者に占拠され、オトナにはなかなか近寄りがたい最近の界隈。駅から青山方向に宮益坂をあがったすぐ裏手に、古びたスナック・ビルが隠れていることを知るひとは少ない。そのビルの3階、正確に言えば3階と4階の間の踊り場に入口がある、まこと知る人ぞ知る存在の店、それが開店30年を迎える『パブ・スコーネ』だ。
「SKÅNE」と書いて「スコーネ」と読ませるこの店は、スウェーデン直送のチーズをつまみに、ズブロッカを飲むという店。しかもインテリアは完璧に北欧デザイン。しかもお酒を注いだり、チーズを削ってくれるのは欧州美人。しかも営業スタイルはカラオケ・スナック! 渋谷でスウェーデンでカラオケで、というワケのわからないミックスが異様に居心地いい店だ。スウェーデン・カラーであるブルーとイエローを基調にしたインテリアに、カウンターはバイキングの船体を模し、壁の照明はボードにスウェーデンの地図をパンチング。港を描いた風景画の壁紙もスウェーデンから輸入した。
手づくりの照明は、スウェーデンの地図をパンチングしたもの(左)スウェーデンの港を描いた風景がが壁紙に(右)
かつてスウェーデンに住んでいたというママさん(原一子さん)とインテリアと、お酒とおつまみに加え、もうひとつスコーネをスコーネたらしめているのが、美人ホステスさん。ホステスといっても、もちろんお色気サービスはなし。脇に座ってお酒を注いだり、大きなクネッケ(スウェーデンのライ麦クラッカー)を割り、チーズを載せてくれるだけなのだが、歴代とびきりの美人揃いなので、チラチラ横目でお顔を見ながら、ズブロッカをクイクイいってるうちに、気分よく泥酔すること間違いなし。ママさんによれば「開店から20年間は、スウェーデンの子にかぎって働いてもらってたんです」とのこと。いままで延べにして800人以上になったというから、ちょっとした「東京の夜の学校」だ。
「うちは商社の方とか、外国暮らしをしていた方が多くて、品が悪いお客さんがいないので、働いていても安心だし、アコモデーションも用意してますから、だんだん信用がついて、スウェーデンの職安から紹介してくれるようになってたんですよ。国に帰った子からいまでも手紙来るんです」と見せてくれた箱には、絵葉書や記念写真がどっさり。ユニークな文化交流といいうことで、あちらの新聞には何度も取材されているそうだ。
駅近に、奇跡的に残るスナックビルの上階。スカンジナビアンブルーのドアが目印(左)
キンキンに冷えたズブロッカに、スウェーデンチーズとクネッケ
「なんでもシンプルで合理的なのが好きなの」というママさんらしく、酒もつまみも基本的に1種類なので、「おつまみ持参歓迎」。そして会計は「席料3,500円にサービス料10%、いくらいても飲んでもそれだけ」という超明朗会計。「だからお客さんに自分で会計してくださいって頼んじゃうの」と笑う。
こんな素敵にオトナな店が、渋谷にあったんですねえ。
歌舞伎町『スタジオ向日葵』
歌舞伎町の真ん中を縦断する区役所通り。タイ料理店にカラオケボックス、キャバクラに風俗店と、夜のサービス業見本市みたいなストリートの一角、古びたビルの5階に『スタジオ向日葵(ひまわり)』がある。
朝までやってる新宿2丁目のバーの店員が、「おれたちが店終わってから飲みに行くところがあるんですよ」と紹介されたのが、向日葵を知ったきっかけだった。開店は2004年のこと。エレベーターを降りると、いきなり破れかかった70年代風の壁紙。ひとけのないフロア。店名が書いてあるだけの殺風景なドア。しかも歌舞伎町。はっきり言って、ひじょうに入りにくい。紹介されなかったら、まずドアを押す勇気は出ないだろう。おそるおそる店内に足を踏み入れると、いきなりドーンとエレキギター用のアンプ。そしてずらりと並ぶギター・コレクション。ソファ席の間にやたらと立ち並ぶモニター。なんなんでしょう、この店は?
ずらりと並ぶギター。ギブソン、フェンダー、フェルナンデスなどなど
”スタジオ”と名乗るだけあって、向日葵は音楽好きが作った、音楽好きのための店だ。とりあえず座って酒を注文し、それじゃ歌うかとリモコンで曲を入れると、マスターがコレクションからギターを一本取り上げ、肩にかける。足元にずらりと並んだイフェクターをいじる。そして、カウンターの奥から出てくるママさんが、その脇でサックスを棚から取り出し、マイクの前でスタンバイ。そうして曲のイントロが流れだすと、カラオケBGMにあわせて、ギターとサックスで伴奏を入れてくれるのだ。歌う側としては、BGMに至近距離で演奏してくれるギターとサックスが加わるのだから、ほとんど生オケ気分。これは気持ちいいです!
高校でロックに目覚め、ミュージシャンを目指したものの、高校卒業後は赤坂や六本木のディスコに勤め、夜の世界で働き始めた、マスターの立花たくやさん。ディスコ、バー勤務を経て、表参道や原宿のアパレルで店員をしたあと、なぜかディスカウント業界に転身。独立して自分の店を持つまでになったが、からだを壊して相場についていけなくなり、「うまくいかなくなっちゃって……要するに歌舞伎町に逃げてきたわけです」。友人の店で隠れるように働いていた後、周囲の協力で向日葵を開店し、「債務整理も無事に終えました!」。
店を開けるのは22時ごろ、建前では翌7時に閉店だが、お客さんがいれば(というか、いつもいるので)昼過ぎまで延々と営業。最長は「夕方から始まって翌々日の昼まで、41時間営業しっぱなしでした!」という、すさまじい営業体制だ。飲み物を用意し、焼き魚定食から大盛りナポリタン・スパゲティまでを作り、会計をし、その間に休むことなく演奏し、時には左手でギターを弾きながら右手で氷のお代わりを出し……『ハード・デイズ・ナイト』がぴったりな日々(夜々)を、たくやさんとミミさんの2人だけで仕切っている。見ているだけで目がくらみそうだ。
実は多くの著名挿絵画家たちが通う店でもある
壁に並ぶ漫画家やプロレスラーたちのサイン
この店には僕もずいぶんたくさんの外国の友人を連れて行ったけれど、その全員が「カラオケなんて絶対イヤだ」と言い張っていたのに、入店30分後には他人の歌も聴かずにリモコンをいじくり回し、マイクを離さず懐かしロック絶叫態勢に入っていた。それくらいすごい店です、ここは!
(編集部注:チャージ1人3,000円。予算としては1人4,000円程見ておきたい。ちなみに、BBCが取材に訪れたこともある)
テキスト・写真 都築響一