絨毯敷き、細部のディテールまで凝っているロココ調メゾネットの405号室は一番人気だとか。
東京にやってくる外国人観光客がまずびっくりするのは、日本式の旅館がほとんど見つからないことだ。現代の日本人にとって旅館とは、温泉旅行など非日常の場でときたま出会うものであって、日常生活の中にはすでにない。現代の日本人は、ビジネス出張のときはビジネスホテルを使い、セックスのときはラブホテルを使うものだ。
ラブホテルという言葉を知っている外国人は多いが、ラブホテルの起源がアメリカの空襲にあるという事実を知る外国人は少ないだろう。ラブホテルの原型となる「出会い茶屋」は江戸時代から存在したが、第二次大戦時の空襲で焼け野原になった東京市街には、ホテルどころか旅館すらほとんど存在せず、一般人の男女は野外でセックスすることが一般的だった。皇居前広場は特に「屋外セックスの場」として有名で、広場に面した第一生命ビルに陣取っていた占領軍の将校たちが、その様子を双眼鏡で覗いて楽しんでいたという。
終戦直後の混乱がようやく落ち着く1950年代から60年代にかけて、「連れ込み宿」と呼ばれるラブホテルの原型となる和風旅館が爆発的に増殖。それが70年代になって、徐々にラブホテルへと姿を変え、グレードアップしていった。 ヨーロッパの古城を模し、豪華な調度で内部を飾り立てた目黒エンペラーが1973年に開業して大成功を収めてから、ラブホテル業界は豪華な内装と奇抜な設備の競争に巻き込まれていく。それが回転ベッド、鏡張りの部屋など、ジャパニーズ・ラブホテル・スタイルとしか言いようのない、素晴らしくエキセントリックでオリジナルなインテリア・デザインを生み出すこととなった。
しかしたびかさなる法律の改正で、こうした昔ながらのスタイルを守るラブホテルは減少の一途、いまや絶滅の危機にある。繁華街や国道沿いに乱立するラブホテルのほとんどは、広い部屋と広いベッドと広い浴室で、しごく快適な時間を過ごせるものの、かつてラブホテルを「ラブホ」たらしめていた、独特のインテリア・デザインは求めるべくもない。
そうした「オールドスクール・ラブホテル」の香気を漂わせる有名な一軒が、川崎にある「ホテル迎賓館」である。昭和37年創業という老舗である迎賓館は、川崎駅から徒歩15分。周囲に幾軒かのラブホテルがあるほかは、病院や学校が集まる文教地区で、現在の法律ではラブホテルを建設することは許されない。迎賓館はそうした法律の施行以前に建てられたので、現在は営業できているものの、もはや改装することも、建て直すこともできないという厳しい条件下にあり、それが逆に古き良きインテリア・デザインを残す原因にもなっている。
屋形船、楊貴妃、御所車、クレオパトラ、中納言、ベルサイユ、スターダストなど、趣向を凝らした部屋の写真をパネルで見ながら、どの部屋にしようとふたりで悩むのは、楽しいひとときだ。ただし同ホテルのオーナーのによれば、「いまや(セックスという)純粋な目的で利用される方は、ふつうの客室を選ぶことが多くて、凝ったインテリアを選ぶお客さんは、多くがコスプレイヤーの方々なんです」と意外なお答え。
地元や東京だけではなく、関西などからも衣裳を入れたスーツケースを引っ張ってきて、豪華な調度の部屋で撮影に興じるお客さんが年々増えるようになって、いまではコスプレ利用のための専用予約ウェブサイトまで設けているほど。「コスプレのひとたちは、ベッドにも寝ないし風呂にも入らないので、部屋が汚れませんから、こちらとしても大歓迎なんです!(笑)」……なるほど。当然ながらほとんどの利用客は日本人だが、オーナーいわく「いちどルームサービスを届けに行ったら、ハイジみたいな格好をした金髪の外国人の方たちが、部屋の中でぐるぐる回って踊ってました」。
ラブホテルのなかには男性同士、女性同士のカップルや、3人以上のグループでの利用を断るホテルも少なくないが、迎賓館は基本的にだれでもオーケー。世界中どこでもいっしょ、みたいな高級ホテル・チェーンなんかに泊まるより、はるかに非日常的で、日本でしかありえない体験がたっぷり味わえる。それもはるかに安価で。
幻想の日本を体験したかったら高級旅館に泊まればいいけれど、現実の日本のオリジナリティを体感したかったら、こうしたオールドスクール・ラブホテルのほうを、僕としては強くおすすめする。
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