Songha

俳優 成河が1人38役に挑む、舞台「フリー・コミティッド」

一人芝居を通して捉え直す、演劇の価値

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テキスト:高橋彩子
写真:谷川慶典

シェイクスピアの『夏の夜の夢』で妖精パックを詩情豊かに演じたかと思えば、佐野洋子の童話が原作の『100万回生きたねこ』では「ねこ」役で軽やかなダンスを披露し、大型ミュージカル『エリザベート』では狂言回しでもある暗殺者ルキーニを怪演、木下順二の名作『子午線の祀り』では野村萬斎の平知盛を向こうに回して源義経を熱演…と、出演する様々な舞台で唯一無二の輝きを放ってきた俳優・成河(そんは)が、200人規模の劇場、DDD青山クロスシアターで約1ヶ月間、一人芝居『フリー・コミティッド』に挑む。38役を1人で演じる本作について、成河にインタビューした。その言葉からは、演劇と社会を巡る熱い思いが浮かび上がってくる。

オンシアターとオフシアターの断絶を埋めたい

-今回、一人芝居に初挑戦されます。

成河:僕の中では一人芝居ということより、狭い空間で長期間やる公演なのが大きかったですね。ここ15年ほど様々な舞台に立ってきて、まだまだやりたいこと、やっていないことはたくさんありますが、演劇がどうあってほしいかと考えた時、「オフシアター」(※1)を豊かにしたいという思いが自分の中で強くなっています。日本には古典芸能があり、それに対抗するように、新劇だ、小劇場だ、と色々なジャンルが生まれてきたけれど、未だにオンシアターとオフシアターは断絶していて、両者が高め合っていくようなシステムが定着していません。その断絶を埋めたい。濃密な空間で実験ができるオフシアターから、オンシアターをも豊かにできるような土壌を耕したいんです。

※1 大規模で商業的な公演を行うオンシアターに対し、小空間で実験的な・挑戦的な作品を上演するのがオフシアター。

-演劇界のシステムというだけでなく、一俳優としても、小空間でのロングランで得るものは大きいですよね。

成河:その2つは繋がっています。一俳優として必要なのは、システム。だって、関係性を作るのがシステムでしょう?俳優は、観客がいないと何もできません。言い方を変えれば、どういう観客がいるかで、俳優は変わってくる。観客だって、俳優によって変わる。観客が固定化して多様性を失えば、俳優にも多様性がなくなってしまうんです。これは20年後、30年後の演劇界を考えたら、とても危険なことだと思うんですよ。気になるのは今、考えさせられる演劇を敬遠するお客さんも多く、「考える演劇」か「何も考えず感じる演劇」かというふうに分かれてしまっていること。本来は、感じたから考え出すし、考えたからより深く感じるわけですよね。お客さんにそういうふうに言わせてしまうこちら側も問題です。劇場は気づいていなかったことに気づかせてくれる場所、考えさせてくれる場所のはずなんです。

「スタンダップ・コメディ」をいかに「演劇」にするか

-今回の『フリー・コミティッド』も当然、その1つなわけですね。本作は、ニューヨークの超人気レストランの予約受付係をしている売れない俳優サムが、客からの電話にひたすら追い立てられる様を描いた作品で、成河さんはサムとその電話相手など38人を1人で演じます。今、稽古をしながら、どんなことを感じていますか。

成河:難しいところと面白いところは、はっきりしています。難しいのは、この作品が持つ「ニューヨークあるある」。非常にドメスティックな話題が頻出しますので、日本でやるのは大変です。例えば、途中で唐突に「ドクター・ルース・ウエストハイマー」という人が出てくるのですが、調べたらニューヨークの超有名人で、ドイツ語なまりのおばあちゃんのセックスセラピストでした。いかにもニューヨーカーが好きそうですよね。この戯曲では、そういう実在の人物たちも登場させて客席を沸かせるという、スタンダップ・コメディ的手法を使っています。作者のベッキー・モードさんはテレビ業界の方なので、「ここでテンポを上げてここでストンと落とす」といったことを話芸として巧みに書いていて、上げるところでニューヨークのドメスティックなネタを使っていたりするのが、一番困る(笑)。そこが、最初から最後まで高いハードルですね。

稽古中の成河

-どう対処するのですか。

成河:無理に翻案したり潤色したりということはほとんどせず、もっと大事なことにフォーカスが当たるように心がけています。演出の千葉(哲也)さんと一緒にやっているのは、「スタンダップ・コメディ」をいかに「演劇」にするか。それはつまり、関係性を作るということです。

-関係性と言っても、実際に舞台上にいるのは成河さん1人です。

成河:1人でも関係性を見せやすいように作るのか、そうではなく作るのか、稽古でも2通りを検討した結果、やっぱりこの作品は、関係性を見てもらうように作れるはずだという結論になりました。あくまでも、真ん中にいるのは主人公のサムであり、電話の相手は彼の主観を表すための存在。観ていただきたいのはサムですから、お客さんが彼に集中するのを妨げるような要素はできるだけ排除し、サムが劇を通して何を感じ、どう変化していくかを、取りこぼさずに観てもらう工夫をしています。

演技などについて話し合う千葉哲也(左)と成河

今自分が立っている場所をよく見てみるのが演劇

-なるほど。「全38役の一人芝居」と謳ってはいるけれど、37役を通してサム1役を描く、と。

成河:その通り。僕が難しさを感じると同時に惹かれるのは、この作品はモノローグがないという、かなり珍しい一人芝居だからです。これをやる意味は何だろうとずっと考えてきましたが、ここには複雑な都会そのもの、ディス イズ ニューヨークというものがどーんと描かれているんです。だからこそドメスティックになるわけですが、そこからは都市の生活のストレスが強烈に伝わってきて、東京生まれ東京育ちの僕にも分かる部分が非常にあります。「これ、観なきゃ損だよ」「なんで観てないの」「まだ買ってないの?」と人から求められ続ける都会の生活の中では、本当の意味で自分で何かを選ぶのはものすごく難しい。そのことが、サムが電話に出続けるという行為でもって描かれています。これは僕自身、とても身に覚えのあることなんです。

-と言いますと?

成河:10代の頃、情報が本当に苦手でした。僕、デパートで泣いたことがあるんですよ、商品がたくさん並んでいるから、何を買ったらいいかわからなくて。楽しそうに選んでいる人たちを見て、死んだほうがましだ!と思っていました(笑)。雑誌も怖かったですね。まるで強迫観念のようで、それを持っていないと不幸せなんですか?と思いながら必死で食らいついて、でもダメで…。いつもおびえてました。そんな僕のような人間のために、演劇はあるのかもしれませんよね。足元をずっと見ていて良いというか、先や上ではなく、今自分が立っている場所をよく見てみるのが演劇なので。

-前に進むばかりでなく、立ち止まることも、演劇は教えてくれるわけですね。

成河:もちろん、なんだかんだ言っても資本主義が最善だという認識はありますし、大好きでもあるのですが、都市がそういうふうにできている以上、自分で選ばず、選ばされているかもしれないと、疑いを持つことが大事なのではないでしょうか。演劇は、あれ?本当かな?と思わせてくれる場。うまくいっている物事に歯止めをかけるのが責務でもありますから、国にとっても経済にとっても迷惑な存在でしょうね(笑)。だから僕は、演劇における「非日常」という宣伝文句が好きではありません。非日常を介して日常を省みる、ということならいいのですが、非日常という言葉が独り歩きすると、日常を忘れてすっきりした、明日も我慢して働こう、となってしまう。でもストレス発散の道具になったら、我慢して働くことを助長しますよね。娯楽は、我慢して働かせるためにあってはいけない。豊かなものを観れば仕事にだって取り入れられるはずですし、嫌だったら辞めればいいんです。

-まさに、サムが迎えている状況と一緒です。

成河:だからこれは、都会に住むとはどういうことなのかを問いかけてくれる作品なんです。しかも面白いのは、サムが売れない俳優だという設定。ブロードウェイならではの皮肉ですよね。俳優というのは、観ていただくもの、使っていただくもの、人を喜ばせるためのもの。サムは電話の相手に一生懸命尽くしているのにうまくいかない。でも尽くすのをやめた時、彼の俳優としての仕事にも変化が生まれます。

 -同じ俳優としては、どう映りますか。

成河:ここで描かれるのは、俳優が見せたくない姿ではないですか? しかも天才ではなく、むしろ凡才で、色々な要求に対して小さな嘘をたくさんついてごまかして、いくつもの操作をしてなんとかしようとしている。職種関係なく、まさに僕たちそのものですよね。首相官邸だって(アメフト部が問題になった)日大だって、そう。しょうもないことを隠そうとする僕らの姿を、サムが一身に請け負ってくれています。本人は俳優の仕事のために、目の前にあることを頑張っているつもりなのでしょうが、本当にそうなのか?ということを、僕も演じながら感じるでしょうし、観ている人も感じてほしいですね。

観劇の行きと帰りで、見える景色が違っていたら嬉しい

-実際、現代社会ではみんな目先のことに追われがちだし、スマホも手放せませんからね。そんな私たちも、イライラするような忙(せわ)しない状況を共有するうち、サムに対して「辞めればいいのに」と思うことでしょう。

成河:にもかかわらず、サムはそこに気づかない。ただただ振り回されて、自分との距離が測れずにいます。僕は最初、38役をスタニスラフスキー・システム(※2)のように、きちんと性格づけして表現したらどうなるかなとも考えたのですが、ちっとも面白くなかった。サム以外の37人については、サムを追い詰めるための漫画だと解釈して戯画化し、それに対してサムのリアリティがどうなるのかを追求していくことにした時、ようやく突破口が見えてきました。

※2 スタニスラフスキー・システム ロシアの演劇人コンスタンチン・スタニスラフスキーが提唱した演技理論。人物像を内面から造形してリアルに演じていくための方法論になっている。

-ブログに「一人芝居の稽古は、自分を邪魔してくれる存在がいかに有り難かったかという事を思い知らせてくれる毎日。そのうち自分で自分の邪魔をするという妙な技を発明したりする。」とお書きになったのは、そのことですか。

成河:そうです。いかに、サムを困らせるか。稽古を重ねてサムの感情の変化や成長が見えてくればくるほど、邪魔する37人のやり甲斐が増すはずです。邪魔することがミッションですから、方法論は問わない。結構メチャクチャなことになると思いますよ(笑)。それはさっき言ったようにドメスティックなところから解き放たれているからこそ、できる。千葉さんからも、サムを演じる俳優が本当に疲弊していくことに価値がある、と言われています。

-『フリー・コミティッド』というタイトル自体、「満席状態」と「全力で頑張ること」のダブルミーニングですしね。

成河:全ては、サムが翻弄されて本当に嫌になるための仕掛け。なぜそこまでするんだろう?というサムの姿が、都会で生きることに帰着すればいいと思います。だから、青山で上演するというのは最高のロケーション。みなさんに見える景色が、行きと帰りで違っていたら嬉しいですね。

-タイムアウト東京の読者にとっても、関心のあるテーマだと思われます。最後にぜひ、メッセージをお願いします。

成河:道行く人にお芝居について聞くと、たいていは、翻訳劇かショーミュージカルか歌舞伎のイメージを抱いていると思いますが、どれも予備知識が必要な気がしますよね。確かに、各ジャンルの代表作を考えると、多少は背景などの予備知識があった方が楽しめるものが多いです。でも『フリー・コミティッド』は、僕たちの生活そのままを描いているから、予習のしようがありません。都会に生きる人なら誰にでもある感覚を使っているので、そこで暮らしてきた時間を思い出してくれさえすればいい。面白い2時間を味わってもらえることと思います。 

一人芝居『フリー・コミティッド』の詳しい情報はこちら

高橋彩子

舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。『エル・ジャポン』『シアターガイド』『ぴあ』『The Japan Times』や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、『シアターガイド』でオペラとバレエを紹介する「怪物達の殿堂」、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」(https://ontomo-mag.com/tag/mimi-kara-miru/)を連載中。

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