※提供:歌舞伎座
歌舞伎の世界観を壊さず、どう拡張できるか
−今回の取り組みが実現に至った経緯を教えてください。
澤邊:海老蔵さんからオファーをいただきました。最初「歌舞伎座で」と聞いてびっくりしましたよ。しかも七月大歌舞伎で、大変光栄でした。
−伝統と最新テクノロジーのコラボレーションはこれまでもありました。
澤邊:アートの世界でデジタル表現をすると、デジタル側が強くなり、アート性と無理やりくっついてしまうものが多いんですよ。例えば伝統芸能とポップカルチャーとの融合(の試み)は、それはそれでいいのですが、本来は異質なものの組み合わせで、あんまり関係ないんですよね。
−ただ今回は違うと。
僕たちが挑戦しているのは、元々の世界観をメディアアートでどう発展させるかということ。あくまで歌舞伎側の表現なんですよ。その世界観を壊さずに、どう拡張できるか。これが一番難しかった。絵画的表現でありながら、それをCGでやっているわけなので。
引地:テクノロジーを使う場合、どうしてもカジュアル化していくんですよね。それも大事だとは思います。でも今回は、歌舞伎座の格式を守りつつ、テクノロジーで分脈を付加し、新たなものを作る。そういう方向性にしようと考えました。
歌舞伎の世界観を保つ重要性を強調する澤邊
僕らはあくまで新参者
−伝統芸能とコラボレーションする際、どこまでをいじってよく、どこからはいけないのかという見極めが難しそうです。
澤邊:本当にそうなんですよ。だからなくなったシーンもいっぱいあります。ボツ集もできそうなくらい。「ちょっとコンピューター的過ぎるかな」とか、現場で相談しながらやっていました。そのバランスが大変でしたね。
−どう進めたのですか。
引地:まずはベースの作業として、日本画や源氏物語などを見て、どういった植物が描かれているのかというような時代考証をしました。美術館や図書館から資料を借りたり、本を買ってきたりして、源氏物語の美術などについて読みあさりもしました。
澤邊:海老蔵さんが、祖父の十一代目市川團十郎さんが演じている写真を何枚か送ってきてくれて「こういうのを意識しているんです」と(教えてくれました)。それも参考にしましたね。
−そうしたベース作業を経ずに伝統を触るというのは、やはり怖いですか。
引地:すごく怖いですね。
澤邊:やっぱり僕らは新参者なんで。どこまでできるのか(分からない)っていうのはありますよね。
−「どこまでならやっていい」という判断基準はどこに置いていたのでしょうか。
澤邊:異質感や違和感があるかどうか、ですね。それはもう直感です。2次元の絵の世界が基本なんで、全体のバランスを見て、絵画的じゃなかったり、コンピューターっぽく見えてしまったり、少しでもはみ出しているような部分は外しました。ですが、「良い異質感」は残していますよ。
引地:やっぱりCGとか使っていると、ある種「チャラく見える」じゃないですか。だから、「このシーンでは、こういう理由で、これをモチーフに使う」という裏付けがないと、説得力がなくなってしまうんです。
なぜCGを使うのかの裏付けが必要と語る、クリエイティブディレクターの引地(左)
「大丈夫か」というくらい、じわーっと
−同じような取り組みの事例も見て学びましたか。
澤邊:「舞台×テクノロジー」はかなり見ましたね。
引地:よくあるのは、カジュアル化してポップにしていくものでした。ただ、「王道」でどれだけ勝負できるかっていう(点が難しい)。テクノロジーを加える場合って、どれだけ激しく映像を動かすかとか、ピカピカ光らせるかとかにいっちゃいがちなんです。でも今回は、正直なところ「大丈夫か」というくらい、じわーっと映像を動かします。これは歌舞伎のスピード感を意識しているんです。
澤邊:でも僕らが思うスピード感よりも、海老蔵さんはさらに遅いんですよ。これよりももっとゆっくりなのか、と驚きました。
引地:ゆっくり見せるには、絵力がそれに耐えられないといけないんです。それが弱いと退屈で観てられないんですよ。だからどこを切り取っても絵画になるように意識して作りました。
澤邊:(多くの場合、)やっぱり軽いんですよね。ただ今回は、そうならないような重厚感を感じられるはずですよ。
−特に注目してほしい、感じてほしい点はどこでしょう。
澤邊:そうですね…。歌舞伎座(でやる)というところが非常に大きいと思っていて、一番伝統がある場所じゃないですか。その場所で「ここまでやるんだ」という挑戦(的な試み)を感じてもらいたいですね。舞台美術としての映像ってだいたい、雪が降るだけとか、桜が散るだけとか、シーンの要素の一部として使っているものが多かったんです。そこに物語性はなかったんですが、今回はそれを意識しています。ストーリーとの融合として映像が機能しているので、これまでのプロジェクションマッピングとは違うと思いますよ。
引地:今回は、かなり「現実と仮想を壊す」というところを意識しました。歌舞伎座という場所をさらに拡張し、舞台の奥にさらに舞台があるように見えたりします。「イマーシブ」(没入感がある)というコンセプトを立てて作りました。観客の皆さんには、そんな「空間絵巻物」の中に入っていく感覚を味わってほしいですね。
澤邊:ご覧になったら分かると思いますが、あるシーンで、奥行きがちょっと、迷うところがあると思います。視点が分からなくなるんです。あれ、錯覚起こすよね。
引地:「あれ、自分は歌舞伎座にいないんじゃないか」という意識を感じると思います。ちょっとハードル上げ過ぎかもしれないですが…。
澤邊:いや、でもあれは本当に不思議。「あれ、どこまでが映像?どうなってんの」みたいな。あのシーンだけでも見応えがあると思います。
引地ら制作チームのメンバーと談笑する澤邊
我々のアート作品にしたいわけじゃない
−今回の取り組みを通して、テクノロジーに対する考え方が変わったり、可能性を感じたりしましたか。
澤邊:「テクノロジー使ってますよ」ではダメなわけで。とは言っても、「使ってませんよ」でもダメ。(テクノロジーの存在に)気づいてほしいんだけど、めちゃくちゃ意識されると本来はいけない。「どうだ!最先端だ」となると、違うストーリーになっちゃうんです。「我々のデジタルアート」にしたいわけじゃないので。そのバランスの難しさを痛感しましたね。
−伝統芸能の世界は、若者や外国人などへの適切なアピールの方法のようなものについて、解を見出せずにもがいているような印象を受けます。
澤邊:まあ、何が解なのかは幕が開けて観客の反応を見てみないと分からないですが、私が理解できた部分もあります。まず、歌舞伎って舞台芸術としてはあまり語らないんですよ。説明がなく、セリフもそんなに多くない。みんなある程度分かっている前提で観ている。源氏物語はシーンも
結構、観ている側に解釈をゆだねる舞台芸術なので、誰もがその共通理解を持てているかは分かりません。でも、そこにデジタルが入ることで、その手助けはできている気がしますね。それが今回どこまで通用しているのかは、観客の様子を見て初めて分かるでしょうね。