タイムアウト東京 > アート&カルチャー > 英国人演出家ジョナサン・マンビィと堤真一が再タッグ、舞台「民衆の敵」
テキスト:高橋彩子
英国人演出家ジョナサン・マンビィの演出で、ノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンの名作戯曲『民衆の敵』が上演される。とある海岸沿いの町で温泉が出現。町は大きな収入源を得て歓喜するが、発見者である医師トマス・ストックマン自身が、温泉の汚染を訴えたことから巻き起こる騒動を描いた作品だ。1882年に書かれた本作は、現代の日本に何を映し出すのだろうか。演出家のマンビィと、医師ストックマン役を演じる堤真一に話を聞いた。
日本の人にこそ観てほしい、「個人」対「多数」のドラマ
―『民衆の敵』では、公害や集団心理など、現代に繋がる重大な問題が描かれています。
ジョナサン・マンビィ(以下:マンビィ):政治的、そして社会的に今の時代に非常に合っている戯曲です。アメリカに始まり、ヨーロッパ、そして日本でもそうだと思いますが、私たちは、経済活動が優先され、環境に負荷をかけていることの代償など省みられず、「真実なんてどうでもいい」とされているような世界に生きていますから。それと同時に、家庭や家族といった個人の物語としても、見どころの多いドラマです。この素晴らしい戯曲を探求することは僕にとって喜びですし、その成果が日本の観客にどう響くのか、楽しみにしています。
堤真一(以下:堤):社会性の高い戯曲でありながら、人間の不完全さもきちんと描かれているのが魅力です。僕が演じるストックマン医師にしても、真実を伝えようとする人物ではあるけれど人間的な欠陥もあって、ヒーローでもなんでもない。勧善懲悪のドラマではなく、登場人物それぞれの正当性のせめぎ合いなので、観る人によっては「こっちの人のほうが現実的でしょ」というふうに感じるかもしれない。演劇は何でもそうですが、観ながら自分の立ち位置がわかるような作品だと思います。
―日本人は調整能力やバランスを非常に重視しますが、このストックマン医師は違いますね。
マンビィ:「個人」対「多数」ということが、この戯曲の核になっています。ストックマン医師は、勇気を持って真実を主張した結果、多数から排除されてしまう。日本文化では、集団の調和が全てであり、調和を乱す個人はしかめっ面で見られてしまう傾向にあります。もしかしたら、この戯曲を日本で上演することには、ヨーロッパ以上に意義があると言えるかもしれません。
堤:ストックマンは本当に厄介な人ですよね(笑)。不器用だし、生活とか経済的なことには何も興味がない男で。彼は正義を掲げているというより「これが真実だ。温泉の汚染は改善すべきでしょ?」と言っているだけ。ある意味ピュアなのかもしれません。普通、日本人は「わかるけど、そこまでは(言ってはいけない)」「もっと輪を大切にしようよ」と考えますよね。例えば、段田安則さん演じる(ストックマン医師の兄であり、ストックマン医師と対立する)市長の役がそう。でも昨日、段田さんとのシーンで思ったのですが、親子や兄弟って、意見の相違があっても翌朝には何もなかったかのように一緒にご飯を食べたりするじゃないですか。この兄弟も、根っこには繋がっている部分もあって、だからこそ反目したり羨ましかったりしている気がします。
―そうした情愛の部分を描かないと、単なる意見のぶつかり合いになってしまうのでしょうか。
堤:そうですね。だから、(対立する人物を)兄弟という設定にしたイプセンはやっぱりすごいですよね。
マンビィ:社会的なことと個人的なことの織り交ぜ具合が、見事ですよね。リアルな人間模様を、ユーモアをもって描いている点で、この作品はチェーホフの作品に通じます。扱うテーマは深刻なので、イプセンはこれを喜劇と呼ぶべきかどうか悩んだようですが、チェーホフと同じく、悲喜劇、あるいは深刻なテーマについての喜劇などと呼ぶのがふさわしい戯曲だと僕は考えます。
『民衆の敵』メインビジュアル
未来のために「真実」を伝える
―お二人は、2016年にも魔女狩りを描いたアーサー・ミラー作『るつぼ』でタッグを組んでいますね。アーサー・ミラーは『るつぼ』執筆にあたり、『民衆の敵』を参考にしたと言われていますし、『民衆の敵』の上演台本も手がけています。
堤:ジョナサン(・マンビィ)も稽古場でその話をしてくれて、「そうなんだ!」と新鮮でした。それから、イプセンの実生活での体験が作品にどう反映しているかという話も興味深かったですね。
撮影:細野晋司/『るつぼ』の舞台写真
―今作のストックマン医師も、『るつぼ』で堤さんが演じたプロクター役も、集団心理の恐ろしさの中で自分の信念を固めていきます。
堤:そうならざるを得なかったんでしょう。やっぱり、自分がここで屈したら、自分の背中を見ている子どもたち、未来の人たちに顔向けできなくなる。輪を乱さない方がいいことはわかりつつも、子どもに顔向けできる父でありたいと願う。ストックマン医師が、端から周囲のことを考えないのではなく、そこの葛藤を持ってる人なのが、僕にとって魅力的です。彼は、初めはそんなに大事になるとは思わずに温泉を直すべきだと主張するけれど、膨大な金がかかることが判明する。それでも、改善しなければ嘘の上塗りを続けることになってしまう。「民衆は目を覚まさなければいけないんだ!」というふうに、劇の中で彼に気づきがあり、学んでいくんです。
―次の世代のために、というストックマン医師の思いには、堤さんご自身も共感しますか。
堤:どうでしょう。僕自身は迎合して生きてきたようなものですから(笑)。僕の「真一」という名前は、北原白秋の「真実一路」という詩から父が取ったものです。でも、僕はその最初の「真実 諦メ タダ一人真実一路ノ 旅ヲ行ク真実一路ノ 旅ナレド真実 鈴振り 思ヒ出ス」より先を、未だに読んでいないんです。だってそこまでですでに、真実の道を歩んできたけどどうなんだろう……という迷いを感じる詩だから、それ以上読むのが怖くて(笑)。そんな感じですし、基本的に群れるのが嫌いでリーダーシップを発揮するタイプでもありません。
マンビィ:いやいや。稽古場で僕が見る真一さんは演劇を愛していて、その演劇には一緒にいる仲間も含まれているから、とても社交的ですよ。共演者とのやりとりも生き生きとしているし、いつも正直でリアルな演技をする俳優だと思う。『るつぼ』のプロクター同様、ストックマン医師のポジティブなところにも、物語のダークサイドにも、きちんとたどり着いてくれると信じています。
―最終的に、どのようなものを観客に伝えたいですか。
マンビィ:イプセンがこの『民衆の敵』を書いた19世紀は、自然主義が台頭した時代であり、演劇だけでなく絵画など様々な芸術において、日常の生活をそのまま描く試みがなされました。ですから今作では、出演者それぞれが演じるキャラクターが何者かということを、ただのフィクションではなくリアルなものとして作っていくのが僕の仕事。日本の芝居はプレゼンテーションすることが中心で、2次元的な印象を受けるものも多いですが、今回はリアルで奥行きのある、3次元的な舞台を目指しています。
堤:僕自身、「こう演じよう」と頭で考えるのではなく、稽古の中で生まれてくる感覚や感情と出会いながら演じていきたいですね。
マンビィ:僕は最近『リア王』を演出したのですが、その幕切れに「Speak what we feel, not what we ought to say.(言うべきことではなく、感じたままを語り合おう)」という台詞が出てきます。そうやって芝居を作り、最終的には、この戯曲の最も重要なメッセージである「真実の重要性」をきちんと伝えることが目標です。たとえ真実を伝えることでネガティブな結果が出てしまったとしても、私たちは真実に価値を置かなければならない。それをしなければ、世界に未来はないのではないでしょうか。
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高橋彩子 舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。『エル・ジャポン』『シアターガイド』『ぴあ』『The Japan Times』や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、『シアターガイド』でオペラとバレエを紹介する「怪物達の殿堂」、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」(https://ontomo-mag.com/tag/mimi-kara-miru/ )を連載中。http://blog.goo.ne.jp/pluiedete