伝説の大道芸人
櫛(くし)を持つ手に、力が込もった。勢い良く白髪交じりの長髪をとぎ、すっと顔を上げる。目はかっと見開き、口は真一文字に締まり、霊気のようなエネルギーが漂った。両手を手刀のようにし、顔の前に構え、前後に足を運ぶ。そこには、ついさっきまでフラフラと歩を進めていた老人の姿はない。左、右、左と手を繰り出し、力強くステップを踏む。「これはね、チャンバラという踊り。一人称の踊り。今初めて披露したんだけど、できるね。まだまだできるよ」。記者に対し、興奮気味に言葉をまくしたてた。
ギリヤーク尼ヶ崎。87歳。
人は彼を「最後の大道芸人」「伝説の大道芸人」と呼ぶ。1930年に函館市に生まれ、38歳で銀座の街頭で舞踊を披露して以来、49年間、大道芸人として投げ銭だけで生計を立ててきた。赤いふんどし姿で体をよじり、走り回り、数珠を激しく振り回し、南無阿弥陀仏を唱える。その激しい踊りは、「鬼の踊り」「情念の舞」などと称される。これまで、パリやニューヨーク、ロンドンの街頭でも踊り続け、地元の新聞に一面で取り上げられるなど、喝采を浴びてきた。
踊りを始めた当初は、ピエロの格好をしてパントマイムのような芸をしたり、バレエダンサーの格好での舞を演目に入れたりしていたが、次第に自然や風などからインスピレーションを得るように。創作舞踊に取り組み始め、津軽三味線の音色が哀愁を誘う「じょんがら一代」や「念仏じょんがら」などの代表作を生み出した。「自然の動きを見つめているうちに、スローな動きもできるようになった」という。以後、阪神大震災に見舞われた神戸市や、アメリカ同時多発テロの跡地グラウンド・ゼロ、東日本大震災に襲われた気仙沼市などを訪れ、がれきの中、犠牲者のためにも踊った。情念を込めた舞は「祈りの踊り」「鎮魂の舞」と評された。