日本のナイトクラブに奇妙なことが起きている。9月2日午前3時40分、鉄パイプを持ちマスクで顔を覆った男たちが六本木中心部のナイトクラブ、フラワーのVIP席を襲撃し、31歳のレストラン経営者の藤本亮介が撲殺された。襲撃時、店内にはおよそ200人の目撃者がいたにも関わらず、いまだに容疑者は逮捕されていない状態だ。ところが数週間後、フラワーがスタジオゲートという新しい名前と共に再開したとたん、警察は素早く動いた。10月1日、経営者の馬場幹人と従業員7人があまりにも風変わりな罪で逮捕された。だが、日本のクラブオーナーたちはこの「犯罪」をよく知っている。風営法違反、すなわち店内で人を踊らせたからなのだ。
世界でも有数のクラブ文化を誇るここ東京では、驚くべきことに多数のナイトクラブが違法営業をしている。踊ることは「禁止」こそされていないものの、厳しい規則のもと、特定の場所でしか実施できず、夜通しのパーティは事実上不可能で、まったく予断を許さない状況にあるのだ。
風俗営業等の規制および業務の適正化等に関する法律、または風営法として知られるこの法律のもと、ダンスを行なうビジネスは全て許可を得なければならない。数々の決まり事があり、中でも重要なのが、店舗サイズだ。メインフロアは66平米以上の障害物がない平地で、営業時間は場所によるが夜12時または1時までが決まりとなっている。
最近いったパーティのことを思い出してみればいい。ナイトクラブシーンの重鎮DJ EMMAは、今年、EYESCREAM誌のインタビューにこう応えている。「僕たちDJは毎週末、法を犯しているという事になります」。そして、数年、正確には数十年にわたってこの行為は常套化してきた。
ところが、状況は大きく変わってきている。クラブがさらされている危機的状況を知りたければ、大阪のクラブシーンを見てみればいい。すでに瀕死状態だ。2010年より、警察は風営法を掲げ、オールナイトパーティを摘発し、許可を得ずに営業しているクラブを次々と閉鎖に追い込んだ。いま、その流れは全国に広がっている。
4月15日、テクノで絶大な人気を誇るDJ石野卓球が福岡のO/Dでターンテーブルをまわし始めた直後、警察が一挙に流れ込み、パーティは即中止に追い込まれた。直後、石野は自身のツイッターに「dance is not a crime」と書き込んだ。このツイートは3,900回以上リツイートされている。
石野を数ヶ月後にインタビューした際、石野はこのときのことを話したがった。「こうした警察との問題はたくさんの場所で起こっている。法改正において何ができるかはわからないが...。デモを起こしたって何も変わらないだろう。むしろ警察の目をひき、事態は悪化するかもしれない」
こうした無力感や、嵐が過ぎるのをおとなしく待つ姿勢が、日本のクラブシーンに蔓延しているのだ。クラブは「踊り禁止」のサインを張り、フロアで踊る客にスタッフが駆け寄り音楽に体をあわせて動かないでくれと頼むところまである(嘘みたいだが本当の話だ)。ナイトクラブの広告から「ダンス」という文字は消え、「エンターテイメントスペース」という曖昧な言葉でお茶を濁しているのが現状だ。世界的にも有名な渋谷のパーティスポット、WOMBのウェブには「DJ」という言葉すら見当たらない。みな、グレーゾーンという窮地でもがき苦しんでいるのだ。
日本のナイトライフシーンの歴史をみてみると、現在彼らが置かれている苦境が理解できる。風営法の取り締まり対象は、レストランから麻雀サロンまで多岐にわたる。また、ラブホテル、アダルトグッズショップ、ストリップクラブやソープランドなど、異なる法のもとにおかれる性産業でさえも、対象になっているほどだ。ダンスと売春は、全く異なる行為だが、風営法設立時の1948年にはそんなにかけ離れていなかったのだ。
日本の警察によるダンサーたちへの最初の摘発は、ダンスホールが首都に現れ始めた1925年だ。警視総監の知人が、自分の息子がダンスホールで知り合った女性と駆け落ちしたと騒ぎ立てたことが発端だった。これにより入場時の身分証明書提示と、私服警官によるダンスホールの見回りが行われるようになった。もちろん常連の女性客には大不評だったため、「タクシーダンサー(taxi dancer)」というチケット制度がダンスフロアに導入された。男性客からチケットを受け取り、チャールストンを踊るという方法だ。
戦後日本のダンスホールに、アメリカ兵たちがさらに悪影響を及ぼした。一夜の相手を探すのに、音楽は格好の必需品だった。占領兵たちと娼婦たちにとってダンスフロアが交渉の場となった。当時の法律は売春宿のみを取り締まっており、こうした行為を取り締まる法律は存在しなかった。こうした中で、風営法は「改善」されることとなったのだ。
64年前に設立された昔の法が、いまだに現在のナイトクラブに適用されているのだから、最近の無許可のダンス行為における取り締まりの流れも理解できるだろう。実際、風営法は設立以来、幾度か改正されている。最新では1984年に、全国のディスコやゲームセンターで暴れる若者を取り締まるために大幅改正された。中でも有名な事件は、女子中学生二人が男とドライブに行き、一人は殺害、残りの一人が瀕死の状態で発見された「歌舞伎町ディスコ殺人事件」の発生だ。女子中学生と犯人は、新宿のパーティで出会ったとされている。
風営法の改正を求める20万を越える署名が集められ、全国的に営業時間に改正が認められた。(それまでは東京のディスコの営業時間は夜11時までということになっていたが、それについては置いておこう)オールナイトパーティは厳しく取り締まられ、警察の摘発も激しくなる中で、日本のクラブシーンは、フードやドリンク中心の場所に変わりつつある。だが、問題が解決されたわけではない。客が踊ることは禁止されているからだ。
日本において、多くの法律は行使されないことが多く、風営法も長きにわたって蚊帳の外だった。80年代半ばの最初の摘発ラッシュの後、警察のガサ入れはしばらく放置されていた。風営法はどちらかといえば騒音問題や薬物売買の摘発として適用されていた。だが2010年、国内でも大きなナイトクラブシーンが盛り上がっていた大阪のアメリカ村の検挙から、全ては変わった。
2010年1月、京都産業大学の22歳の学生が路上の争いにより死亡。近隣のクラブが争いの発端だった。このエリアでは、2008年に起きた薬物と死亡事件を筆頭に、こうした事件が頻繁に起こっており、メディアによるナイトクラブでの若者の薬物乱用のバッシングが巻き起こっていた。(2009年夏、元ポップアイドルの酒井法子がアンフェタミン使用で検挙されたことで、国内のクラブカルチャーの乱れに注目が集まったことも忘れてはいけない)近隣住民や商業施設からの深夜の騒音やトラブルに対する苦情が高まり、大阪府警は組織的な摘発に踏み切った。対象は、風営法違反を犯しているクラブ。そして当然ながら、全てのクラブが風営法違反を犯していた。
TRIANGLE、Grand Cafe、オンジェム、Joule、Sound-Channel、Lunar Club。一年半の間にこうしたアメリカ村のクラブは警察の一切摘発の対象になった。廃業に追い込まれたクラブもある中、TRIANGLEやオンジェムは再び店を再開したが、営業時間は深夜1時までになり、集客も売り上げも大幅に落ち込んだ。
こうした行き過ぎともいえる警察の行動は、地元住民からの苦情を受けての行為とうい説もあるも、問題はアメリカ村だけにとどまらなかった。大阪の他のエリアのクラブにも、ダンス禁止の波は押し寄せ、やがて福岡や京都にまで流れは広がったのだ。
警察の手段は執着的だった。大阪の梅田で18年営業を続けてきたクラブNOONに、4月の水曜の夜9時43分、45人の警察官が摘発に入った。店内の客は警察の半分以下だった。京都最大のナイトクラブ、WORLDは長年警察の目の敵にされていたが、昨年末に閉鎖に追い込まれた。ダンスではなく、許可無くバーを増設したことが原因だった。O/Dで石野卓球のパーティを止めさせた理由は、「新人警官の訓練のためだった」と石野が後で教えてくれた。
東京にもその流れはきている。大洞窟のような六本木のクラブ、Alifeは、オーナーの笠井克啓が風営法違反で逮捕された後に閉鎖した。近くのサルサクラブ、Sudadaは、幾度かの警察とのトラブルの後に閉鎖し、着席型のラテンレストランとして再開した。新宿二丁目のゲイクラブも、「ダンス禁止」の張り紙を掲げ、警察のガサ入れに戦々恐々としている状態だ。
なぜこうした状況に陥っているのだろうか。過去数ヶ月、説得力のあるものから被害妄想まで、さまざまな回答を聞いた。音楽ライターの磯辺涼が編集した『踊ってはいけない国、日本』では様々な寄稿やインタビューのなか、当局が日本社会の曖昧なグレーゾーンを抹消したがっているせいだと議論が繰り広げられている。性娯楽産業に通じる風俗ライターとしても知られるフリーランスジャーナリストの松沢呉一は、今回のダンス戦争を、2000年から始まった歌舞伎町取り締まり後の、公衆道徳の流れとしてみている。彼に言わせれば、セックスクラブ、ラブホテル、SMバーとくれば、次の標的がナイトクラブというのは自然な流れだ。
警察は風営法を、別の捜査の手段として使っているだけにすぎないという意見もある。関西でクラブを経営するとある人物に聞いたところ、彼は一連の摘発には別の理由があるはずだと言い切った。「理由は簡単だ。ギャングか、薬物か、本当の狙いがなんにせよ、確証がない情報を元に捜査を進めるのは厳しい。だが、ダンスを口実に逮捕できれば、拘留中に合法に尋問ができる。通帳だって差し押さえられる」次に自分の店が警察のリストに乗ることを恐れて、身分を明かさないことを条件に、彼はそう語ってくれた。
NOONの経営者、金光正年の経験もそう語っている。今年4月4日にNOONが摘発された際、彼とスタッフ7名は22日間にわたって拘束され告訴後に200万円の保釈金を支払い、保釈された。拘束中に口座明細の提出を要求され、特定のやり取りについて尋問された。警察の取り締まり目的がダンスだけではないことは明確だ。
現在、カフェバーとして再開したNOONで行われたインタビューで、彼は「警察はクラブが怪しいと思っていて、組織的犯罪に関わっていると思っているんでしょうね」と語った。「しかし過去2年間の検挙で、警察はいまだに大阪のクラブとギャングのつながりを証明できていない」
まだ風営法による取り締まりが厳しくなる前から、この問題に悩まされて来た外国人のクラブ経営者、ステファン・サクサノフもこの点を反復する。「このビジネスに関わっている人で、犯罪歴がある人は一人もいない。そんな人物には一人として会ったことすらない。私自身、道路法違反すら犯したことないんだ」
サクサノフと二人組のパートナーは、一度も警察のお世話にならずに、Club Pureという飲み放題のクラブを横浜で7年間経営していた。「警察との関係は良好だった」と彼はいう。「些細な事でも問題があれば、彼らとは話をして解決してきた。店を閉めた後は店を片付け、店の外で騒ぎがないように細心の注意を払ってきた。身分証明書チェックを強化したのも、国内では僕らが初めてなんじゃないかな」
だが、これらの努力もむなしく、2005年末に警察はPureを風営法違反で打ちのめした。裁判に訴えたが、サクサノフは法制度の曖昧さに嫌気がさしている。広きにわたって行われている違法行為も、許可されている場合は多い。例えば、パチンコでは客は勝ち分のトークンを現金化することができる。「ギャンブルのマネーロンダリング行為だ」と彼は指摘する。「日本の法律は場当たり的で歪みすぎている。経営者として、何がおきるか予測することすら難しい。だから、その被害を黙って受け入れるしかないんだろう?」
サクサノフの意見は一般的ではないかもしれないが、カフカ小説の主人公かのような半世紀を日本で過ごしていれば、それも理解できるかもしれない。彼は2001年に施行された、行政機関が行う政策の評価に関する法律に非難の目を向ける。この法律により、政府機関が政策を定期的に評価することになり、法域内の様々な規定が定期的に見直しの対象となった。現行の法が時代にあった的確なものかを客観的に評価することが目的だが、風営法に限っていえば、真逆の効果を生み出しているという。もはや適応できない規則を削除するのではなく、警察はいまの法が妥当である事を躍起になって証明しようとしているようだ。
政策評価法は、「政府の活動を制御する大切な法律だが、まったく無意味になってしまっている。真逆の方向に使われてしまっているのだ」と彼はいう。
「ただ単に、やられてしまっている...」と私が言いかけると、彼はかぶせるように「官僚制度にね」と言った。サクサノフの経験はNOONの金光にとっても警告になるだろう。彼は現在、20名の強腕弁護士チームを形成し、国を訴える準備をしている。法システムに警鐘をならすことを願う、勇敢な行為だ。「法が改正されるまで、クラブを再開することはない。もし改正されなければ、この国にはもう住みたくない」と彼は語った。
彼の活動は、国内に広がる Let's DANCEキャンペーンの中でも中心軸となっている。今年の2月に京都で始まったこのキャンペーンの目的は、風営法の中からダンスに関する規則を全て取り除くことだ。京都市長選に立候補した弁護士の中村和雄がいち早くこの問題を取り上げた。以来、オンラインの活動を中心にキャンペーンは広がり、クラブや大規模な音楽フェスで署名を集め、年末には議員に提出する(執筆時には8万の署名が集まっていた)。
今年の6月に京都WORLDで開催されたLet’s DANCEの第一回公開会議と、9月に東京で行われた第二回会議の両方に金光は出席した。だが、二つの会議は全く別もののようだった。京都での会議は、実際に被害にあったクラブ経営者たちによる熱いトークが繰り広げられたが、東京にはまだ切実感は感じられなかった。つまり真の問題は、そこにある。グレーゾーンに住むクラブ経営者たちは、法に関して声をあげたがらない。なぜなら、彼らはまだそこでビジネスをしているからだ。
Let’s DANCEは関西では確かな基盤を築いているが、今夏東京で行われた活動は、ワンマンショーだった。9月の東京での会議の後、弁護士の齋藤貴弘と昼食で会ったが、彼は目にみえる疲労具合で「東京のクラブは問題の深刻さをわかっていない」と嘆いた。東京のクラブ経営者に参加を訴えても、警察の目の敵になることを恐れて大多数は消極的だという。
だが心配した方がいい理由はある。東京のLet’s DANCE会議の直後、Club AsiaやVuenosといった、渋谷エリアのクラブが次々と摘発されたのだ。タイミングからみて偶然かもしれないが、あるクラブプロモーターはこの状況を「怖い」と言った。
齋藤は国会議員にも声をかけており、東京の会議には民主党議員二名と、共産党議員一名が参加した。ベルリンのクラブ経営者やイベントオーガナイザーによるロビー団体の、ベルリン・クラブ・コミッションからも代表者を招聘し、同じような組織を日本に設立することも考えている。クラブの声をまとめてひとつにするだけではなく、社会の中のポジション向上も狙える。
だが、彼自身も、成功の見込みが薄いことは理解している。警察の力が強いからではない。営業時間のせいでもなければ、ダンスフロアで客がどう体を動かすべきかを取り締まる風変わりな法のせいでもない。一番の理由は、日本のクラバーたちが高齢化しており、若者のクラブ離れがおきていることだ。「風営法がなかったとしても、クラブの時代が終わりに差し掛かっているのではないかと心配している」とランチの終りかけに彼は語った。
金光はそう思っていないかもしれない。先月のLet’s DANCE会議で会ったとき、彼は翌日に予審を控えていた。NOONの経営者は、日本のアンダーグラウンドのダンスカルチャーを、日の光りのあたる場所に持っていきたいと言った。次のプロジェクトのアイデアはもうある。「中学生や高校生がいけるようなクラブを作りたい。10時以降に来店する仕事帰りの大人だけを相手にしていても商売にはならない。カラオケをみてもそうだ。日中の料金は安いので、主婦や学生たちも行く。その方向に、可能性があると思う」
日本のクラブはとても奇妙な現状にさらされているが、近い将来、さらに奇妙なことになるかもしれない。
※誤訳修正
下から5パラグラフ目「渋谷エリアのクラブが次々と摘発された」の「摘発」を「立ち入り」に訂正しました(2012.10.17)