ポストクラシカルのその先

「ニルス・フラームは『ヴェクサシオン』の840回の反復にあっけらかんと向き合える現代の音楽家」

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テキスト:原雅明

エリック・サティが1893年に作曲した「ヴェクサシオン」は短いピアノ曲だが、楽譜には「連続して840回繰り返し演奏する」と指示書きがされていた。実際にその通りに演奏しようとするとテンポによっては一昼夜もかかり、録音物も抜粋の演奏しか世には出回っていない。この「反復と退屈と陶酔の探求がなされたサティの作品のうち、最も有名な(かつイライラさせる)曲」(デイヴィッド・トゥープ)は、完成されない究極のループ・ミュージックであり、音楽家が反復に惹かれていくことを予言してもいるようだ。

「クリエイティヴであるためには自己を制限しないといけない」というニルス・フラームの音楽は、常にミニマリズムを保ち、反復によって成立している。それは、サティ以降の、特に20世紀後半の音楽のひとつの特徴と言えるものであるが、1982年生まれのフラームは、サティはもちろんのこと、ヴィヴァルディやバッハにも、スティーヴ・ライヒやアルヴォ・ペルトにも、あるいはマシュー・ハーバートやフォーテットにも等しく熱心に耳を傾けてきた世代だ。一筋縄ではいかない、レフトフィールドなエレクトロニックミュージックが生み出した複雑なプログラミングによる反復と、「ヴェクサシオン」にまで至る生ピアノによる反復。フラームは常にその狹間で揺らいで音楽を作り出してきた。

ニルス・フラーム

フラームがまだティーンエイジャーでクラシックピアノと作曲を学んでいたのは、90年代が終わろうかという頃だった。それはメロディやハーモニーよりも音響が優位だった時代でもある。深い残響音、重いベースライン、鼓膜より身体に響く振動、立体的な音像、細かく刻まれたリズム体系といったものがサウンドの根幹を成した。フラームは明らかにそうしたものの影響を受けてきたが、一方で彼はピアニストでもあった。2000年代後半、ハンブルクからベルリンに移ったフラームは、本格的にソロ活動をスタートする。

2005年にリリースされたデビュー作『Streichelfisch』を聴くと、フラームの出自がよく分かる。それは懐かしい90年代のインテリジェント・テクノ〜エレクトロニカから、その後のグリッチへと進んでいったエレクトロニックミュージックの真っ当なる歩みを聴くかのようだ。この時代のフラームにとっては、エレクトロニックミュージックがまだ優位性を持っていたのだろう。そして、変化はロバート・ラスと彼のレーベルErased Tapesとの出会いから始まる。

Erased Tapesは、まるでECMのような共通するサウンドヴィジョンを貫き、出自も国も違うフラームやピーター・ブロデリック、オーラヴル・アルナルズらの音楽を提示していった。ポストクラシカルというくくりで紹介されたそれらは、ミュージシャンの復権と、メロディとハーモニーの復活を宣言するかのようだった。中でもフラームは、アコースティックなサウンドとエレクトロニックミュージックとの垣根を取り払うシームレスな音響空間を作り出してみせた。だが最新作『All Melody』はもはやポストクラシカルなるくくりも不要なほど、多様な国の音楽と過去の音楽が織り成すレイヤーから成り立っている。

現在も彼の音楽の根幹を成しているのはミニマリズムと反復だ。そこにこそ、あらゆる音楽を咀嚼(そしゃく)できる基盤があるのだと言わんばかりにアルバムは作り上げられている。そして、『ヴェクサシオン』の840回の反復にあっけらかんと向き合える現代の音楽家は、ニルス・フラームにほかならないとすら思うのである。

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