制作する際にセオリーを意識したことは一度もないね
ー今回のEP『Flame Rave』の4曲は、それぞれが非常に充実した内容ですね。引き続き生楽器の使用はなく、アルバム『CLARK』の延長線上にある作品と捉えているのですが、さらに力が抜けているという印象も受けました。この4曲は新たに集中して取りかかったものなのですか?それとも、過去のストックから?
今回の4曲は、アルバム『CLARK』と同じ惑星から生まれているよ。いや、月から生まれているって言ったほうがいいかな?月は人間が想像している以上に常に広大なものなんだ。今回のEPにも言えるけど、コンスタントにリリースして自己を露出しすぎると、リスナーは飽きて感動しなくなるというリスクがあるよね。アルバムの直後にEPをリリースすると、リスナーが聴く際には常に少し信用が薄れるよ。少なくとも最初のうちはそう。でも僕の音楽はリスナーの心に入り込んでいくまでにしばらく時間がかかる。僕はそういうのが好きなんだ、ゆっくりと焼き付けるっていうか。僕は必ず、徹底的で、発散的で、時おり容赦ないまでに批判的な視点を持ち込んで考慮してから、全ての作品を発表しているよ。自分の行動についてはすごく考えているんだ!それで、今回もリスナーに『CLARK』の曲と同じぐらい良いと理解してもらえると徐々に確信したよ。『Winter Linn』(アルバム『CLARK』の楽曲)はもう聴き飽きたよ。だって千回以上は聴いたから。でも『Springtime Linn』はそのテーマ、モチーフに生き生きした新しい生命を吹き込んでいるんだ。それに、いまちょうど春だしね。
ーその『Springtime Linn』で再構築されているもののイメージを教えてください。
より明るくて、より上向きな曲にしたかったんだ。意味が伝わるかな。方位磁石がある一定の方向を示すように、曲にはリスナーが「物事をみる」ためのある一定の方向が存在すると考えているんだ。開放的で伸び伸びした、より自然なサウンドで、リスナーが上を向いて空を見上げたくなる音楽もある。ある意味で精製されていない生の音だよね。一方で、ドロドロに機械的な重量があって重くて、リスナーの足を地球につけさせる音楽もある。それも好きだね。EPの曲『To Live And Die Grantham』はそんな感じだよ。
ーなるほど。『To Live And Die In Grantham』はインダストリアルなテクノトラックですが、ダンサブルなトラックを作る際は、ある程度、ジャンルのセオリー的なものを意識したりすることもあるのでしょうか。この曲は逸脱している部分とスタンダードな部分のバランスの妙がありますね。
いや、制作する際にセオリーを意識したことは一度もないね。過去には確かに音楽的な研究の虫食い穴に魅了されていたことはあったけどね。作曲のプロセスに対して、不自然かつ意識的であからさまに形式張った反応をするよりも、純粋で本能的な潜在意識の力を利用するのに慣れた神経ループあるいはリソースになるべく、十分に挑戦して学習していたよ。僕にとって、形式張ったアプローチはは堅苦しくて活気のないものに感じる。僕は物事をゆるく、もう少し自由でカオティックに扱うほうが好きだからね。だから作品を制作している際には、まるで夢の中にいるかのように感じるよ。
技巧としては、音楽的なリソースに対して潜在意識を使うことがすべてだよ。大きな蛇口を常に絶え間なく開いておけば、アイデアがひたすら流れ出す。まるで限りなく続く海で永遠に泳げるようにね。それは技巧として間違いないね。だから僕は常に制作しているんだと思う。この地球上において自分が音楽的にやりたいことすべてをやるためには、時間が足りないだけなんだけどね。修行みたいなものじゃないよ、ただ音楽的な「なにか」から離れていられないだけなんだ。しょうがないね。
ーアルバム『CLARK』はイギリスの田舎で缶詰めになって作ったそうですが、今回の『Flame Rave』の制作はどこでされたのですか?
『Airbnb』で見つけたドイツの田舎にある奇妙な風車で制作したよ。現在は使用されていない風車だけど、見知らぬ田舎の町に、かなり孤立した感じで建っていた。週末にはライブをして、平日にはそこへ戻って、クラブでかけるデモ音源の制作をしたよ。こういう音楽のリアリティに基づいた発散的(divergent)でダイナミックな視点を持つことが大好きなんだ。極端な手段をとり、その競合する要素から闘争的だけど調和がとれたバランスをもぎ取るように心がけている。例えば、開放的な田舎で音楽制作をする孤独な鍛錬と、閉塞的な都会の環境で大勢の前でプレイする喜びに満ちた解放のバランスとか。