[title]
マスクを着けて、人混みは避けて、用事はなるべくオンラインで済ます。けれど、一時期に比べて外出は頻繁にするようになったし、人とも会うようになった。まだ感染にまつわる事態はなにも解決していないのだけれど、なんとなく小出しに色々なことを解禁している。そのことの是非をここで問うつもりはないが、なんとなく戻ってくる日常を甘受するだけの状態にどこかで違和感を覚えることはないだろうか。
歌舞伎町に2020年7月末にオープンした小さな2階建てのバー、デカメロン。店名はペスト禍のフィレンツェを舞台にしたジョヴァンニ・ボッカッチョによる同名の歴史的な物語集から取られたものだ。店内ではバーテンダーや他の客と筆談で交流し、2階には現代アート作家の作品が並ぶ。このユニークなコンセプトの背景には、「夜の街」の最前線である歌舞伎町で今のこの状況と正面から向き合い語り合う場を作りたいという思いがあった。
タブー視せずに見つめる場所
プロデュースをしてるのは、歌舞伎町で複数のホストクラブを経営し、過去にはホストが接客する歌舞伎町ブックセンターという書店も運営していたSmappa!Group代表の手塚マキ。当初はブックセンターの移転再オープンのために用意していた場所だったが、コロナ禍によって計画が頓挫し、デカメロンの構想を思いついた。
「語弊を恐れずに言えば、今歌舞伎町に来ることの面白さってあると思う。マスクをして会話は控えて、通気の良い場所で飲んでいる分には危険は無いなわけで。夜の街と言われるこの街をタブー視せずちゃんと見つめる場所があってもいいじゃないですか。最前線を肌で感じながら、思ったことを筆談で残す。
水商売は社会生活で足りていないものを補完しに行く場所です。癒しやぬくもり、遊び。足りないと感じるものをみんながこれからどう思い出してどう考えていくか。歌舞伎町で生きる人間としては、不要不急と言われてしまうようなものの面白さをどう捉え直して伝えていくか、ということに意味を感じています」(手塚)
「今」をないがしろにしないために
感染から逃れるために引きこもった男女10人が10話ずつ計100話を語る、という『デカメロン』の内容と現在のコロナ禍を重ね、営業期間も100日間に限定した。店内には来客者にコロナ禍における各自の物語を記してもらうためのノートも置かれている。「感染症とともに生きる市井の人々の物語」の蒐集が目的だ。2階はギャラリースペースで、期間中は3人のアーティストによる「言葉」をテーマにした展示が行われる。
展示のキュレーションを担当しているのは店長の黒瀧だ。「同時代に起こっているものを同じタイミングで表現したアート作品がもっと必要」と感じ、情報社会における言葉の力について改めて考えさせられる契機となったコロナ禍のタイミングで、「言葉」をテーマに据えた。言葉によって人々の間に生じる「認識のズレ」を表現し、言葉を捉え直すことがねらいだという。
言葉といえば、Smappa!Groupが今年出版した『ホスト万葉集』は今まさに大きな反響を呼んでいる最中だが、同書の冒頭には、ホストという仕事と言葉の関係についての手塚の興味深い一節があるので、以下に引いてみる。
「否応無しに日々突き付けられる人間としての価値。過大評価で大金を得ても、過小評価で苦渋を味わっても、ぴったりと感じることはない。(中略)『今』を忘れないことがホストの仕事だと、僕は思う。だから『今』をないがしろにせず、大事な『今』を三十一文字に閉じ込めて欲しい。ぼんやりとした夢にすがるんじゃなくて、リアルな思いを噛み締めてほしい」
今をないがしろにしないための手段としての記述。ミーム化した文字や言葉に日々振り回されている現代ではとても大切な行為に思える。手塚にとっての言葉を大切にするバーの意義とは。
「考えを整理して筆談のために文字で表現して書くことは、なんでも『ヤバイ』の一言で済ますことと真逆の行為ですよね。ヤバイ以外の言葉で自分の気持ちにぴったりのワードを見つける機会になると良いと思います」
日々不安やうしろめたさを抱えながら暮らす今について吐き出したいもの、形に残したいものがある人は、自分のなかにある1/100話を書き記しに行ってみてはどうだろうか。
関連記事