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フランスでは既にヒット作になった映画『BPM ビート・パー・ミニット(120 battements par minute)』が現在、日本でも公開中だ。1990年代初頭のパリを舞台に、エイズ活動家団体「アクトアップ(ACT UP)」の議論や抗議運動が描かれる。今年、経験するできごとの中で最も人生を肯定してくれる作品かもしれない。そんな本作を監督した、ロバン・カンピヨに話を聞いた。
カンピヨは「1980年代のエイズへの恐怖と恥がエネルギーになりました」、「私たちは伝染病の犠牲者になる貧しいゲイの男たちであることに本当にうんざりしていた」と、1990年代の活動家たちの生きざまを解説する。
監督のロバン・カンピヨ
—映画に対するこれまでの反響で印象的だった出来事はありますか。
出演者とアクトアップの活動家を招いて無料試写会をしたのですが、それが本当に感動的でした。たくさんの人たちが上映後声をかけてくれたのです。夫や父親、恋人といった身近な人をエイズで亡くした人たちでした。その中には25年ぶりに会えた人たちもいました。彼らがこの映画を気に入ってくれたことが私にとってはとても大切なことになりました。
—1990年代にアクトアップに参加されていたということですが、本作の自伝的な部分は何でしょうか。
すべて実体験に基づいています。2人の登場人物だけが実在の人々に近いです。血友病患者のマルコと彼の母親です。彼らも映画を見にきてくれました。マルコはとても喜んで見てくれましたが、奥さんは彼が若い頃に体験したことを知って打ちのめされていました。
—アクトアップが議論時に使っていた教室が出てきます。撮影中、議論の熱気をどのように維持したのですか。
まずは熱気のある俳優を見つけることでした。最初のシーンをいきなり撮影し、そのまま続けました。最初の撮影ショットは酷いものでした。結果が分かっていることをするよりも、試行錯誤しながらの制作の方がずっと面白いものです。編集では、最初の撮影ショットと最終ショットを混ぜ合わせました。議論のシーンはそうやって命を吹き込みました。
—キャスティングにはどのくらい時間をかけられましたか。
いろんな人にGrindr(ゲイとバイセクシャル男性向けの出会い系アプリ)で声をかけてみました(笑)。映画のキャスティングをしていることを言うと、何かの罠だと思われて、とても怖がられました。Facebookでは俳優を見つけることができました。Facebookは役立ったのですが、Grindrはそうでもなかったです。出会いにも、映画を作るのにも役に立ちませんでした。
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