森のくすり塾
Photo: Keisuke Tanigawa百薬堂
Photo: Keisuke Tanigawa

日本で唯一のチベット医が説く「ケア&シェア」文化と健康寿命の意外な関係性

長野で薬房「森のくすり塾」を営む小川康にインタビュー

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長野県上田市の山すそ、歴史ある塩田水上神社の隣に「森のくすり塾」という薬房がある。気軽に集い学べる「塾」のような存在でありたいという願いから始まった同塾は、一つの薬草から歴史や文化、大自然、現代薬とつながり、「くすり」の世界観を育むことを目的にしている。

2016年にこの薬房を開いたのは、日本で唯一チベット医(アムチ)の小川康だ。そんな異色の資格を持つ小川のもとを訪れる人は後を絶たない。一体彼に何を求めているのだろうか。直接話を聞いた。

日本とチベットの医療における文化的な相似点や、超高齢化社会を迎える日本で「健康」であり続けるためのヒントになるような考え方を教えてくれた。

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東洋四大医学と称されるチベット医学

中国、インド、イスラムの伝統医学と並んで東洋四大医学と称されるチベット医学。その治療の核となるのが薬草だ。

アムチは自らヒマラヤの険しい山々に分け入り、薬草を収穫して薬を調合する。そして脈診、尿検査によって患者を診察し、200種類の丸薬(薬草が数種類配合された薬)の中から症状に合わせて薬を処方する。

東北大学薬学部を出て、薬剤師の資格を持つ小川は、書店でたまたま手にした「チベット医学」という本をきっかけに1999年、チベット亡命政府があるインドのダラムサラへ渡った。

その2年後、31歳の時にチベット圏以外の外国人として初めてメンツィカン(チベット医学暦法学大学)に合格。6年間、現地でチベット医学を修めて、チベット医(アムチ)の資格を取得した。

日本に根付く「ケア&シェア」の文化

現代化学の粋である薬学を修め、さらに薬草や生薬にも精通する小川の薬房には、さまざまな客人が訪れる。大学の医学部の教授が大勢の学生を連れて来ることもあれば、東京の富裕層が健康の相談に来ることもある。

小川は分け隔てなくその客人を受け入れ、時間をかけてコミュニケーションを取る。なにを求めているのかは人によって違うが、一つの重要なポイントは「ケア&シェア」という考え方だ。ケアとは相手を気にかけること、シェアとは知見や経験、気持ちを共有することである。

「日本では昔、やけどをしたらヨモギを巻いていました。それが本当に効果的かどうかというよりは、日本の医学や薬学の歴史を見ると、具合が悪い人がいた時に、なにかをしてあげたいというケア&シェアの思いがベースにあるのだと思います。なにかしらの手当てを受けた人は、安心するでしょう? それは現代も変わりません」

ケア&シェアは、特に日本の地域で今も生活に根付いている。例えば、自分で作った野菜を近隣におすそ分けするのは、日常的な風景だ。小川も、家庭菜園で採れた野菜を隣人に配っているという。そうすることで互いを気遣いながら、困った時には助け合うというセーフティーネットを育んでいるのだ。

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どんな時も助け合うチベット人

この文化を持つのは、日本に限ったことではない。「僕がいたチベット社会は、ケア&シェアの意識がとても強いところでしたね。彼らは少数民族なので、必然的に助け合って生きています」と小川は語る。

その具体例を示すユニークなエピソードがある。メンツィカンでの学生時代、学校のテスト中に苦戦している学生がいると、それを見かねた周りの生徒がこっそり手助けすることがあったそうだ。小川がテストで誤った回答を記しているのを見た教師が、「ここ、違うぞ」と教えてくれたこともあるという。

これを「不正」や「ずるい」と糾弾することもできるが、生徒だけでなく教師も同じように振る舞っていることを見れば、「困っている人を見捨てない姿勢」と捉えることもできるだろう。チベットは地理的に過酷な土地柄であり、メンツィカンのあるダラムサラにいるチベット人は難民だ。

倫理的な良し悪しとは別に、ケア&シェアの文化が醸成された歴史的、社会的背景も考える必要がある。そして今では、チベット人のケア&シェアを求めて、大勢のガン患者がチベットを訪ねる。

「チベット医学がガンに効くという明確なエビデンスはありません。でも現地のアムチは患者を受け入れ、自分にできる最大限のことをします。彼らは、目の前で助けを求める人に手を差し伸べることにちゅうちょしません。患者はそこで、近代医療とは異なるケア&シェアの手当てに満足するのだと思います。この30年、チベット医学がガンにきかないという大きな批判もありませんから」


日本の地方でケア&シェアの文化が色濃いのは、チベットと同様の事情である。小川が講演に行くと、「昔は薬がなかったから、熱が出たらミミズを乾燥させたものを煎じて飲んでいた」という話を各地で耳にするそうだ。驚くべきことに、今も日本ではミミズ(「地竜」と表示されている)を原料にした解熱剤が市販されている。


「1961年に国民皆保険制度ができて薬の量産と安定供給が始まるまで、薬は希少品だったんです。だからミミズを使うしかなかった。市販薬は僕も飲みますけど、よく効きますよ」

日本の地方でケア&シェアの精神が今も息づいているのは、生きていくために支え合うことが必要だったから。そして、経済発展の中で関係を良好に保とうと増進したこの文化が、日本の長寿に関係しているという見方もあるようだ。

小川によると、ハーバード大学の教授、河内一郎(イチロー・カワチ)は著書「命の格差は止められるか ハーバード日本人教授の、世界が注目する授業」で、日本の長寿の背景について「格差が少ない結束の強い社会」における昔ながらの生活スタイルや地域コミュニティーを挙げているという。

「健康寿命」を考えるためのヒント

西洋医学による治療が浸透し、国民皆保険制度がある日本では、誰しも近代的な医療の恩恵を受けることができるようになった。一方、少子高齢化で地方の人口は減少し、河内が着目する日本の特徴は失われつつある。

その中で、医療関係者や健康に不安を持つ人たちが続々と小川のもとを訪ねるのはなぜか。取材の前日、糖尿病に悩む人が薬房に来て、2時間後、笑顔で帰っていったそうだ。

森のくすり塾では薬草が栽培されているし、薬房には小川がセレクトした生薬配合の市販薬も売られている。しかしその2時間、小川がなにをしたかといえば、ただじっくりと話を聞き、自分の見立てを伝えただけである。

「うちはどこにも属してないですよ。だから、忌憚(きたん)ない意見を求めてここに来るんじゃないかな。これからも、権威や権力から独立した避難所のような場所でありたいと思っています」

超長寿化が進む日本では、単なる長寿ではなく、健康に人生を全うする「健康寿命」をどう維持するか、議論が始まっている。これからの健康寿命を考える上で、チベット社会で学んだケア&シェアを実践する日本のアムチの取り組みにヒントがありそうだ。

小川康

「森のくすり塾」主宰、薬剤師、チベット医

富山県高岡市生まれ。東北大学薬学部卒。薬草会社や薬局、農場での勤務やボランティア団体での活動を経て、1999年インドのダラムサラに渡り、2002年にメンツィカン(チベット医学暦法学大学)に、初のチベット文化圏以外の外国人として入学。2007年に卒業。研修医を経て、チベット医として社会に認められる。

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