1. 街が生まれ変わっているから。


未来社会の実験場たる大阪・関西万博の開催地にふさわしく、大阪の街は未来志向で適応力にすぐれ、変化を受け入れる素地がある。
大阪駅の裏手にひっそりとたたずむ、中崎町を例に挙げよう。太平洋戦争時、奇跡的に空襲を免れたこの街は、大正や昭和の時代の建物が数多く残され、良く言えば下町情緒が残る、悪く言えば開発が及ばず寂れたエリアだった。しかし、近年は曲がりくねった路地に古民家を生かしたカフェやレストラン、ギャラリー、ブティックが立ち並ぶ「ヒップスター」たちの中心地になっている。 中崎町再活性化の火付け役となったアートカフェ「サロン ド アマント(Salon de AManTO)」は、老朽化した明治時代の建物を活気あるコミュニティースペースへと生まれ変わらせた。これをきっかけに、アートによる地域おこしのムーブメントが広がっていったのだ。
北加賀屋でも似たようなことが起こった。アーティストやクリエーターたちが工場や倉庫をスタジオやギャラリーに改装し、造船業の衰退で低迷していた工業地帯に活気を取り戻している。 大阪は、歴史的にも各地で再開発が行われてきた街だった。「うめきた」はかつて、ほとんど使われていない鉄道車両基地だったが、壮大な再開発プロジェクトによって「グラングリーン大阪(GRAND GREEN OSAKA)」が誕生した。
また、流行にはほど遠かった福島は近年個性派揃いのグルメの中心地として変貌を遂げ、国内最大のコリアンタウンである鶴橋も、韓国文化の発信地として知られるようになった。趣ある商店街にはさまざまなキムチや「トッポッキ」を販売する店が数多くあり、K-POPアイテムや韓国コスメの店が軒を連ねている。