大阪の町人文化を培った船場エリア北側に位置する、歴史的に著名な私塾跡地。急速な近代化を目前に控えた1838年から1862年まで続いた「適塾」は、最先端の西洋の学問であった「蘭学(らんがく)」を学んだ医師と緒方洪庵が開いた私塾だ。
今で言うワクチンをいち早く日本に広め、日本の近代医学の祖ともいわれる洪庵の塾にふさわしく、もともとは主に医学を学ぶ場であったが、近代化を志す門下生の意欲もあり、広く西洋の自然科学全般が研究される場所となった。
現在は適塾の流れをくむ「大阪大学」が管理をしており、往時の洪庵の生活をうかがい知れる歴史的建造物を一般公開しているほか、その貴重な資料の保存研究に当たっている。