整備に聖徳太子も関わっていたとされる、大和川に沿った大阪と奈良をつなぐ山越えの道、「龍田古道」。その中心に位置する、生駒山地と金剛山地に挟まれた谷あいの「亀の瀬」は、天然の関所ともいわれるほど何度も地滑りが起きる難所だ。そして亀の瀬は、龍田古道の発展に伴い「都を離れるノスタルジー」の象徴となり、30首ほどの万葉和歌が詠まれている。
現在も最新技術を駆使して対策工事を行っており、大和川に対して斜めに架けられた鉄道橋からは、地滑りで迂回(うかい)を強いられた線路の様子が分かる。また、地滑りで埋もれていた鉄道跡「亀の瀬トンネル」は一般公開されており、生々しい崩落面からは災害の歴史が学べるだろう。
亀の瀬の歴史的遺構からは、自然の脅威と共存する日本人の心のありようが感じられるかもしれない。1400年以上の歴史をつなぐ道を歩いてみよう。