大阪万博
写真提供:大阪府
写真提供:大阪府

ドミューンの宇川直宏が示す、文化芸術界の「大阪万博ショック」

1970年の万博で生まれた前衛芸術と最先端技術のケミストリーは2025年にも起きるか

寄稿:: Hajime Oishi
広告

※本記事は、『Unlock The Real Japan』に2022年3月21日付けで掲載された『BLAST FROM the past』の日本語版。

1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵を舞台に日本万国博覧会(通称『大阪万博』)が開催された。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77か国が参加した大阪万博は、1964年の東京オリンピックとともに高度経済成長期の日本を象徴する国民的イベントとされている。

映像作家やグラフィックデザイナー、そして「現在美術家」など多方面で活動する一方、ライブストリーミングチャンネル『ドミューン(DOMMUNE)』をキュレーションしてきた宇川直宏は、2歳のときに両親と『大阪万博』の会場を訪れている。

最先端の文化博覧会という一面も持っていた『大阪万博』は、日本のサブカルチャーにどのような影響を与えてきたのだろうか。2025年の『大阪・関西万博』で芸術や音楽が果たすであろう役割も含め、宇川に語ってもらった。

『大阪万博』は現代音楽家たちの祭典だった

『大阪万博』から50年目となる2020年2月、東京都品川区にある天王洲エリアで50周年記念展覧会が開催された。このとき宇川は『大阪万博』にまつわるさまざまな音源を記録したオープンリールテープをもとに、『NO BREATH/EXPO70 EDITION』という作品を発表。制作に当たっては、音楽評論家の西耕一とともに、大阪府日本万国博覧会記念公園事務所から提供された1000本以上ものオープンリールの発掘作業を行い、1970年当時の音の記憶と向かい合った。

「開会式などが開催された『大阪万博』のメイン会場のお祭り広場や各パビリオンには、多くのスピーカーが埋め込まれていた」と宇川は説明する。

「大阪万博は“人類の進歩と調和”をテーマに掲げたイベントだったので、当時の先端テクノロジーの全てがそこに存在していました。モーグ・シンセサイザー(MOOG)はもう市販されていて、電子音楽が実験的側面を極めた時代です。例えば、鉄鋼館の床には1008個のスピーカーが埋め込まれていました(笑)」

「その空間を使ってどういう音を作曲するか、名だたる現代音楽の作家たちが頭を悩ませました。万博期間中、その全ての音が録音され、1970年以来一度も再生されていなかったオープンリールが大量に残されたのです。一柳慧さんや秋山邦晴さん、小杉武久さん、松下真一さんが作曲したミュージックコンクレート(音響・録音技術を使った電子音楽の一種)や電子音楽も入っていた。50周年記念展覧会の僕の作品『NO BREATH/EXPO70 EDITION』では、そのような膨大なアーカイブを世界で初めてエディットしました」

「それら歴史的な音響作品を脱構築したデータを、波形と振動がもみ玉にシンクロさせることができる僕のマッサージチェア作品にインストールし、EXPO70の音で体を揉まれる作品を展示しました。さらに、マッサージチェアを体験する前の待合室の空間で、それら著名人が発声したボイスの間や呼吸を全てカットして会場に流したんです」

「間と呼吸を奪われた意思疎通が不可能な窒息状態から避難して、電子音楽で体を揉まれる体験を提供しました。単なる鼓膜の振動だけで万博を味わうのではなくて、全身の筋肉、そして毛穴から楽曲を味わう作品です」

宇川が話すように、1970年の『大阪万博』では現代音楽のさまざまな作曲家が作品を発表した。武満徹、高橋悠治、湯浅譲二、松平頼暁、ヤニス・クセナキス、カールハインツ・シュトックハウゼンなど、信じられないような顔ぶれである。なぜ『大阪万博』では現代音楽が前面に押し出されたのだろうか。

「当時、ミュージックコンクレートとして、具体音を磁気テープでエディットし、作曲するという行為自体がめちゃくちゃ新しかったし、60年代から70年代にかけてミキシングのテクノロジーが進化したんですね。それこそ、ライブせずにレコーディングバンドになっていく後期ビートルズの時代です」

「万博はその少し後の時期で、大衆の中に現代音楽の方法論が定着し始めた時期でもありますね。(万博は)科学技術の展示会でもあるし、だからこそこぞってどのパビリオンも自国の現代音楽家を押し出していたのです」

「調和」への反発

その一方で、『大阪万博』をめぐって大規模な反対運動「反博」も巻き起こった。前衛的とされるアーティストやクリエイターたちが万博に参加したことなどで、反博の気運は美術界にも飛び火している。

宇川の師匠にあたる映像作家の松本俊夫は「せんい館」の総合プロデュースを担当し、湯浅譲二の音響と自身の映像による空間芸術作品『スペース・プロジェクション・アコ』(1970)を発表したが、当初は参加の依頼を受けるか悩んだという。

「松本俊夫先生のプロデュースにより、グラフィックデザイナーである横尾忠則さんが『せんい館』で、初の建築を手がけることになりました。横尾さんは時代の寵児(ちょうじ)でありポップアイコンでもあったので、『お前、万博に反対じゃないのか?』とカウンターの側から疑問符を投げかけられていたそうです。松本先生も万博の話を引き受けるか迷ったらしい。岡本太郎さんもそのうちの1人でしたが、逆に参加することによって内側から美術の力で爆発させようとしたんですね」

「『進歩と調和』ってある種の普遍性を秘めた言葉ですけど、高度消費社会を加速させるような動きにも加担しているんですよね。例えば、万博があったからこそインバウンドのお客さんが増えたし、日本が先進国であるという態度表明にもなったわけです」

「高度経済成長が形になったのは、万博とオリンピックという特需を乗り越えたからだと言われていますけど、『自国のオリジナリティーを映し出しながらも世界と融合していこう』という『調和』への反発みたいな運動も当時すごくあった。ネオダダ/反芸術がすでに浸透していた時代でしたから」

「60年代安保の政治闘争も一段落し、1969年に東大安田講堂が落城しました。1970年のこの万博の後、1972年にはあさま山荘事件が起こり、1回目のオイルショックを経て、その後いわゆる『シラケ』の時代に突入するので、高度経済成長の一つのピークだったといえますね」

広告

『大阪万博』最大の功績とは

日本発の「人類の進歩と調和」を世界へ高らかに宣言した1970年の『大阪万博』は、以降のサブカルチャーに直接的であれ間接的であれ、多くの影響を与えた。「めちゃくちゃな人混みを体験したのが、大阪万博が人生初で。こんなにたくさん人間って存在してるんだ!と、2歳児ながら驚きました」と当時を振り返る。

「先端の技術が局所的に集まって、それを一気に体験できる。つまりテクノロジーの瀑布(ばくふ)を浴びる。その行為は当時、とてつもなくスリリングだったと思うんですよ。映像にフォーカスすると、スタン・ヴァンダービークの『ムービー・ドローム』(65)やアンディー・ウォーホルの『チェルシー・ガールズ』(65)で、マルチプロジェクションという発想自体が実験されていた時代、松本俊夫先生は『つぶれかかった右眼のために』(68)で、3台の映写機を使った作品を発表し、その実験を昇華させた。せんい館では、『スペース・プロジェクション・アコ』(70)で10台の映写機を連動し、壁面を囲んだ彫刻に投影させる作品を作り上げました」

「音楽は、湯浅譲二さんのマルチチャンネルのミュージックコンクレートです。現代ならば、『Oculus Quest 2』みたいなヘッドマウントディスプレイを付けてメタバースの中に入り、360度のVR空間が体感できるような、クロスリアリティ的映像体験の先駆といえる試みだったと考えられます」

「万博前には『モンタレー・ポップ・フェスティバル』(67)や、『ウッドストック・フェスティバル』(69)のようなサイケデリックで大規模な野外フェスティバルが開催され、PA(音響機材)やサウンドシステムの進化に伴い、不特定多数のオーディエンスが音楽を同時体験できる時代にもなっていました。そんな中、『エクスパンデット・シネマ』(拡張映画)という言葉がマジックワードのように語られていた時代、1970年の万博は、音楽や映像、アート、ファッション、デザインも含め、あらゆる複合的なカルチャーの実験場になった。僕はそれが万博の最大の功績だと思っています」

2025年の『大阪万博』における可能性

それから55年後、大阪湾の人工島である夢洲(ゆめしま)を舞台に、再び万博が開催される。宇川は2025年の『大阪・関西万博』における一つの可能性を示唆する。

「東京オリンピックも、当初予定されていた開会式や閉会式のプラン通りだったら、メディアアートの実験場のような何かが立ち現れていたでしょう。日本の伝統的な芸能と、サブカルチャーの歴史的なアーカイブ、そしてメディアアートやXR(Extended Reality=現実世界と仮想世界を融合することで、現実にないものを知覚できる技術の総称)が融合したら、相当実験的な演出ができていたと思うんです」

「本当にライゾマティスク社には参加してほしかった。新国立競技場の建築がザハ・ハディッド白紙撤回から始まり、公式エンブレムにかけられた盗作疑惑、コロナパンデミックを受け、延期が決定しました。その後も最後まで呪われていて、ああいった無残な結果に終わってしまったわけです」

「ウィズ/アフターコロナの時代、エンターテインメントもアートも何もかもが、サイバースペースに避難しました。そして現在は、メタバースに前衛の現場が移行しています。フィジカルとバーチャルの世界の連動、もしくはXRを通過した新たなリアリティの構築が進められているので、2025年の万博はその画期的な一歩になるのではないでしょうか」

広告

サイバースペースの中で「新たな前衛」が生まれる

2025年の万博のテーマは「いのち輝く 未来社会のデザイン」だ。「多様で心身共に健康な生き方、持続可能な社会・経済システム」というサブテーマも掲げられているが、宇川は「人類の進歩と調和」という前回のテーマを改めて捉え直す必要性を訴える。

「70年の万博では『人類の進歩と調和』というスローガンが生み出されたわけですけど、今回も実はこの『進歩と調和』がめちゃくちゃ重要だと思っています。なぜなら現在は、メタバースの世界で身体にとらわれないアバターとしての自己同一性を貫くための新しい個のあり方が模索されている時代ですから」

「今回の万博は大阪湾の夢洲で開催されるわけですけど、そのフィジカル万博とは別に、『サイバー万博』と『バーチャル万博』も同時に開催されます。デジタルツインの夢洲がサイバースペースに現れるわけです」

「サイバー万博とは、公共の有限性を秘めたパビリオンのデジタルツインでありつつ、幻想の夢幻性を秘めたメタバースであって、現行の前衛がそこに立ち現れるのは必然なのではないかと考えられます。フィジカルとバーチャルが混交するそれぞれの空間の中で生まれる国境を越えたコミュニケーションとして、あらゆるリアリティは更新されます。ですので、アートと音楽はポストパンデミックの時代の芸術として、新たに生まれ変わるタイミングなのではないかと考えています」

メタバースとはメタ(超越した)とユニバース(宇宙)を組み合わせた造語であり、インターネット世界における「仮想共有空間」を意味する。1970年の『大阪万博』において前衛とテクノロジーが結びついたように、2025年の『大阪・関西万博』ではメタバースの中で「新たな前衛」が生み出されるのではないか。宇川はそうした予兆を感じているというのだ。

彼はさらにこう続ける。

「1970年の万博と同じように、サイバースペースにおける調和が問われている時代だとも思うんです。ソーシャルメディアを見ていても分かるように、(バーチャルの世界は)まだまだ無法地帯です。そういった状況の中から秩序が生まれてくるのですが、今度はそこから逸脱したカオスをいかに拾い上げて、単なる秩序に埋没しない時空をどんな方法で作っていくのか。2025年の万博ではそういったことも重要なテーマになってくるでしょう」

このように熱弁した上で、宇川は「でもね、それって1970年の万博で、アヴァンギャルドの記号を使って探求されていたことと同じことなんですよ」と付け加える。

「インターネット、SNS、メタバースで国境が崩壊した今、万国博覧会というネーミングの中にある“万国”の意味が更新されなければならないのです」

2025年、アートや音楽を通じてどのような「進歩と調和」が提示されるのだろうか。

宇川直宏

DOMMUNE/現在美術家

1968年生まれ。映像作家、グラフィックデザイナー、VJ、文筆家そして「現在美術家」など、幅広く極めて多岐にわたる活動を行う全方位的アーティスト。

大阪万博についてもっと知りたいなら……

  • Things to do

1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)の跡地を整備した公園。園内には、大阪万博のテーマ館の一部として、岡本太郎がプロデュースした高さ約70メートルの太陽の塔もある。

太陽の塔の内部は、大阪万博閉幕後、長い間扉を閉ざしていたが、2018年3月より、常設の展示施設として一般公開されるようになった。塔内では、復元された『地底の太陽』や、高さ約41メートルの『生命の樹』などを見ることができ、岡本太郎の偉大さを改めて感じることができる。

太陽の塔内部見学は予約優先で、720円(小・中学生は310円)、EXPO’70パビリオンは210円(高校生以上)の別途入園料がかかるので注意してほしい。

関連記事
大阪、48時間でできること

  • Things to do

1970年に開催された『日本万国博覧会』(以降、『大阪万博』)において最大のシンボルとなったのが、芸術家の岡本太郎が制作した『太陽の塔』である。岡本は戦後間もない時期から縄文土器や沖縄および東北の伝統的な習俗、メキシコの壁画への関心を深め、高度経済成長期の日本における魂のありかを追い求めた。

高さ70メートルを誇る「太陽の塔」は岡本のそうした思想を象徴する作品であり、大阪万博が掲げた「人類の進歩と調和」というテーマに対する痛烈なアンチテーゼでもあった。

この『太陽の塔』を岡本とともに作り上げたのが、「テーマ館」のサブプロデューサーを務めた千葉一彦だ。千葉は日活の美術監督として『幕末太陽傳』(1957年)、『日本列島』(65年)、『八月の濡れた砂』(71年)などの映画作品を手がけた経歴を持つ。

万博においては岡本の右腕役を担い、2人がタッグを組んで作り上げた最高傑作が『太陽の塔』であり、その内部に作られた一大展示作品『生命の樹』だった。2018年には48年ぶりに『太陽の塔』の内部が公開され、それに合わせて『生命の樹』も修復された。

岡本とのエピソードを交えながら、大阪万博の貴重な裏話を千葉に語ってもらった。

広告
  • Things to do

『2025年日本国際博覧会』(以降、大阪・関西万博)では、「移動」が一つの目玉コンテンツになるかもしれない。2018年7月の創業以来、「空飛ぶクルマ」を開発しているスタートアップ、スカイドライブ(SkyDrive)は2021年9月、『大阪・関西万博』でのエアタクシーサービス提供に向けて、大阪府、大阪市と連携協定を締結した。

空飛ぶクルマとは電動垂直離着陸機のことで、eVTOL(イーブイトール=Electric Vertical Take-Off and Landing aircraft) とも称される。エアタクシーが実現すると、既存の交通インフラなら20分から40分かかっていたところへ5分から10分で行けるようになり、大阪の景色を空から楽しみながら、快適に最短距離を移動できるようになる。

スカイドライブを率いる福澤知浩に開発への思いや、その道のりについて話を聞いた。

2022年3月22日(火)、公益社団法人2025年日本国際博覧会協会は東京プリンスホテルで記者会見を行い、『2025年日本国際博覧会』(以降『大阪・関西万博』)公式キャラクターデザインの最優秀作品を発表した。選ばれたのはデザインレーベル、マウンテン マウンテン(mountain mountain)によるデザインだ。

おすすめ
    関連情報
    関連情報
    広告