―まずは「テーマ館」のサブプロデューサーを務めることになった経緯から聞かせてください。岡本太郎さんとはもともと面識がありましたか?
全くありませんでした。出会いのきっかけとなったのは、映画の美術監督たちなどで立ち上げた研究会でした。60年代にテレビで放映するために制作された映像作品、いわゆるテレビ映画が台頭したことで、映画館に来るお客さんが減り、映画の製作本数もどんどん減っていたのです。「このままじゃいずれ生計を立てられなくなる時が来るだろうから、今のうちに将来のことを考えておこうや」と、志ある仲間が数人集まって研究会を立ち上げました。
映画制作のかたわら、映画美術という特殊性を生かして店舗デザインや空間デザインの仕事を数多く手がけてきたものですから、何か新しい仕事もできるんじゃないかと思ってね。それで松竹、東宝、日活から美術監督が一人づつ、ほかにも映画美術の関係者が加わって、5、6人が集まりました。