大東市と四條畷市にまたがる飯盛山の頂上に位置する「国史跡 飯盛城跡」。戦国時代末期の山城で、城を構成する遺構が良好な状態で保存されている。2017年に「続日本100名城」に選定され、2021年に国の史跡に指定された。
1530年に初めて文献に登場。1560年には天下人の三好長慶(みよし・ながよし)が居城とし、京都と五畿内を支配する三好政権の政治・文化の中心地として機能した。城を訪問したイエズス会宣教師によりヨーロッパで刊行された文献や地図でも紹介されている。
国史跡指定を目指して実施した総合調査成果から、北エリアは防御空間、南エリアは居住空間だったと推測される。また、織田信長によって完成される高石垣や瓦ぶきで礎石建ちの高層建築の天守を持つ「織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)」と共通する石垣、礎石建物、瓦という3つの要素を「織豊系城郭」に先行して取り入れたまれな事例だと分かっている。
JR学研都市線野崎駅と四条畷駅からハイキングコースを利用すると、上りでそれぞれ90分、100分で山頂に到着できる。